近現代史について

 

 日本史の授業で、一番おかしなことは、現代に一番遠い古代から学びはじめ、一番近い近現代史をもって、時間切れで、勉強をやめる点です。

 

クロマニオン人も、磨製石器も大事なことですが、それを教訓として使えるでしょうか?

 

昭和初期から、大東亜戦争までの近現代史には、たくさんの教訓が含まれています。そして、自分のおじいちゃんやおばあちゃん自身が体験された歴史でもあります。

 

はからずも多くの犠牲を払うこととなった時代に目をそむけてはいけません。また、ややこしいことに、逃げてもいけません。いいことはいい。悪いことは悪いと、寸評を加えていきたいと思います

 

 

幡谷の歴史観は、大東亜戦争は、自衛のための戦いであり、また白人さんが牛耳切っていた植民地化が暗躍した帝国主義を終わらせた功績は、人類の鑑であると考えます

 

ただし、戦争遂行中の軍部の独走、とくに軍官僚の薄っぺらいご都合御主義が、2000年に渡る歴史に傷をつけた点はみのがしてはいけない事実です。また、完全な正義がないように、大戦のなかで、赦してはいけない悲劇や、罪なき人々への仕打ちもあったとも感じています

 

幡谷は、戦争反対の立場であり、平和を願う一市民です。

しかし、ひとくくりに戦争反対といっても、右や左、いろいろな立場があります。

このページでは、近代史を知らない自分自身の無知を恥じるため、様々なデータや、検証を加え、歴史の中から何を学ぶのか?自分なりに考えていきたいとおもいます






家訓二ストの近現代史

 

「なぜ戦争がなくならないのか?」

考えてみた

 


 

 


先日、FACEBOOK上で、なぜ戦争がなくならないのか?そんな議論をさせていただきました。ドラえもんも言っています

「どっちも自分が正しいと思っている。戦争なんてそんなもんだよ」っと・・・

 

家訓づくりプログラムは、世界平和を実現させ、結果としてノーベル平和賞を受賞するプログラムです。

しかし、真の世界平和を実現させるためには、人間にとっての最大の不幸、戦争を亡くさなくてはいけません。2030年の受賞にむけ、平和を実現させるライバルたる「戦争」の研究をしてみます。

 

まず最初の考察は、「戦争」がなぜ起こるのか?

これをざっくり分析すると、「得」と「損」のせいです。つまり、戦争をすると「得」なので銃をもつ。当たり前ですが、損するために戦争を選びません。しかし、戦争を起こさないと「損」という考えも一方にあり、起こす方、起こされる方、いずれにも【正義】が成立するのもまた戦争の真理です。

 

これを市民生活にあてはめます。

毎日一生懸命働き、給料をもらう。これをグーパンチで奪うと、殴った人は働かなくても現金が手に入ります。つまり「得」。これが戦争です。しかし、現実は、お巡りさんに捕まり、刑務所に入ると、結果的に「損」になります。

 

つまり市民生活の中では、ズル(戦争)をすると、損という秩序が成立します。

しかし国レベルでは、勝ったもん勝ちという歴史があり、なおかつ、襲った方、襲われた方、いずれにも【正義】がある以上、戦争はいつまでたって無くならないのです。

 

あらためて、戦争をなくすためになにが必要なのか?

家訓ニストは3つのステージを提案します。

 

①地域の豊かさと健全さを担保すること

②自分とは違う価値観を持っている人がいる!事を理解する

③友達の友達はみな友達だ! 国と国といっても、国も、人がつくるもの。だったら、解決だって、人が出来るのです

 

つまり、戦争をなくすためには、戦争をすることで、『損』する状況を積み重ねることです。

地域の豊かさのためには、雇用や、地域経済を循環できる仕組みをつくり、汚職や、悪を抑え、正直ものが一番報われる、そんな社会をつくる必要があります。自分の生活が満たされている人は、戦争を望みません。

つぎに、自分とは違う価値観を持っている人がいることを理解することは、宗教の違いを受け入れ、相手を否定せず、また尊重する姿勢が求められます。

さいごの友達理論は?民間外交の必要性です。国と国、キリスト教とイスラム教、お互い肩肘をはった交渉では、着地点はみつけられません。しかし、交渉のベースに人と人の【友情】があれば、戦争という最悪の選択肢は選ばないのではないでしょうか?

 

日本とアメリカ、かつて戦禍をまじえた両国も、いまは強い同盟国として歩みを共にしています。

これは両国が、地域の豊かさを築き、お互いを尊重し、なおかつ友情をふかめた証拠です。

 

日米の戦争時代の記憶をとどめたジブリ作品「火垂るの墓」をご存知でしょうか?

戦禍の中、親をなくした兄弟が手をとり生活するものの、最後は妹(節子)の死を迎える悲劇です。胸が裂かれそうな作品ですが、実はアメリカにも輸出され、心の準備もなく、視聴されたご家庭の中で、ちょっとした事件をおこしています。

 

作品をみた子どもが、おじいちゃんにこう言ったそうです。

「グランパパは、SETSUKOを殺したの!?」と

かわいい孫に詰め寄られ、おじいちゃんは答えに苦しんだことが予想されます。

悪を倒すために落とした爆弾は、罪なき市民。とくに子ども命を奪うものです。そもそも正義の爆弾などこの世にはないのです。

 

戦争をめぐる議論の中で、国レベルでは、掲げる正義をおろせません。

しかし、いざ戦争となった時、火垂るの墓をみた兵士が、節子の顔を思い浮かべて爆弾を投下するボタンをおせるでしょうか?

これは、国家レベルで解決できない問題も、民間レベルの相互理解によって、戦争をおこさない抑止力を育む事例であると考えます。

JCは、ロム単位で地域に豊かさをつくり、JAYCEE(個人)として、諸大会、各事業で相互理解をふかめ、さらに世界単位で民間外交を仕掛ける唯一無二の存在です。

各地域で運動をされるメンバーの皆様は、活動のすべてが世界平和に直結していると信じましょう

 

 

この考察のなかで、戦争に至る背景に「宗教」の因子が絡むと解釈に複雑さを増します。

宗教が絡むと、一方の正義が、片方の悪になってしまうケースが多発します。具体例をだせば、イスラム教を信じる皆様にいくら豚肉の美味しさをPRしても、口にされることはありません。科学的にいくら安全性を証明したとしても、食べないものは食べない。イスラム教徒にとって、アラーの教えに反することはできないのです。この場合、豚肉だけでなく、生活をする中でのあらゆる場面で、価値観の違いと対面することになるでしょう。

この時、他社を中途半端に理解するぐらいなら、『違う』という事だけ理解し、互いに干渉をさけながら、なおかつ互いを尊重する大人の対応が求められます。

 

その点で日本人は、世界一宗教に寛容で、なおかつ距離感を保つのが上手い民族です。

クリスマスのあと、除夜の鐘をきき、初詣にいくあなた、わずか1週間で目まぐるしく神様を乗り換える?ことが出来るのが日本人の特徴であり、特異性です。この矛盾を矛盾したまま受け入れられるのが寛容さの証拠であると誇りに持ちましょう(^_-)

 

日本人が果たす役割は、武器輸出でなく、そんな柔らかい価値観を輸出することではないでしょうか?このときの価値観の輸出とは、教則本を配るという意味でなく、前述のジブリ作品や、『おしん』や『キャプテン翼』などのコンテンツを通して輸出をすることがおすすめです。

 

実際に、この二つの作品は、中東でも人気を博しており、イランでは、「おしん」の視聴率が驚きの90%。 武器を輸出する国は腐るほどありますが『おしん』を輸出できるのは日本人だけです。

そして『おしん』というコンテンツから、我慢や努力、親孝行の大切さを世界に発信し、世界平和をさせるのです。

 

これから成長をめざす発展途上国の皆様から見ると、大東亜戦争をへて、焼土と化した国土から再出発をし、世界第2位の経済大国となった姿そのものが、戦争をしなくても、豊かさを手に入れる証拠であり、目標となるのです。

 

日本という国をつくった先達は、戦争なんてしなくても、世界が羨む立派な国を残してくれました。

そして、責任世代の我々は、この豊かさを守り育て、次の世代に手渡すことが、世界平和に貢献することになるのです。

 

もちろん家訓づくりプログラムも、心の豊かさを守り育てる意味で、世界平和に貢献していきます<(`^´)>

 

戦争がなぜなくならいのか? もしかしたら、それは人類の罪であり、アダムとイブが、智慧の実を食べてしまった原罪なのかもしれません。しかし、ひとりひとりが、罪から逃げず、おのおのの出来る解決法にむかって歩み続けることで、戦争のない楽園は必ず実現できると信じています。

 

家訓ニストの信じる戦争をなくす解決法は、「家訓づくりプログラム」です。地球中にくらす全ての人が、家族への想いを家訓にこめ、健やかな成長を見守ること、そして、家族と接するように、あなたをとりまく全ての人に、やさしく、あたたかい関係を築けたなら、そこは「戦争」なんて言葉は死語になっている新しい世界が広がるのです!!

 

WE BELIEVE

やってみなくちゃわからない!

世界平和にむけ、歩をすすめる「家訓づくり」のストーリーに、あなたの関心をおよせください。

世界を変える奇跡はそこから始まります

 

 

 



家訓二ストの近現代史

  その③

 

「湯船で考える世界平和実現の方法」

  

 

安近短のゴールデンウィーク、嫁さんと「テルマエロマエⅡ」を観てきました。

まさかの風呂映画、そしてまさかの世界平和?を実現をめざす映画です。

風呂技師に扮する阿部ちゃん怪演もあり、爆笑につぐ爆笑で、ひさしぶり映画館に足を運んだかいがありました

 

テルマエロマエⅡは、古代ローマを舞台にした映画です。劇中では、侵略による拡大政策による平和維持をもくろむ元老院と、共存共栄による平和をめざす皇帝の闘いが描かれています。

 

では、平和とはなんでしょう?

いじわるな定義では、平和とは、戦争と戦争の間の時間とも評されます(*_*)

 

平和のために戦うのも平和、有史以来、人類は闘いに明け暮れてきました。

 

あらためて、平和とはなんでしょう?

家訓ニストは、明るく豊かな社会であると定義します。この時の明るさとは、社会の明るさ、目に余る不正や独裁のなかでは、明るさはありません。そして、豊かさは、経済的な裏付けでなく、人間の思慮深さに根差すものと考えます。

 

戦争により、罪のない人が殺される。あるいは、市民であった兵士が、銃をもち殺人をおかす。そのいずれにも、明るさも、豊かさもありません。

 

殺人は、殺人です。

アメリカさんでたとえると、裁判所による捜索令状があり、その説明をおこない、証拠だ、法律だ、裁判だっと、何重にも貼り巡らされた司法の網が、戦争になると、「あっ危ない!?」「バキュ~ん」で終わりです。

訴訟社会ともいわれ、マクドナルドのコーヒーが熱すぎて50億円の賠償金。あるいは、泥棒にはいった男が屋根で足をとられ骨折、家主の管理責任をとい訴訟をおこす・・・といった厳格すぎる運用をする国が、バキューンで終わりです。

これも、豊かでも明るくもありません。

 

しかし、国が武力をもつことに、こんな議論も一方にはあります。

武力放棄をうたい平和憲法として知られる日本国憲法に関して、特攻隊を描き、映画化された『永遠の0』の作者でもある百田氏はこんな発言をしました。

「憲法9条を守りたい人間は、戦争が起きたら最前線に行ってもらい、『日本には憲法9条がある』と叫べばいい」といいっと・・・

 

 

家訓ニストの考える平和とは、前者と後者の真ん中の立場です。

 

平和を守るには、武力も必要。しかし、侵略戦争はもちろん、戦争は誰の得にもならない悲しい事実であると

歴史を丁寧によんでいけば、大東亜戦争は、自衛のための戦争であったと考えます。問題は、軍国主義でなく、軍に、はびこっていた官僚主義、組織に巣食うのエリート主義が、諸悪の根源です。

 

自衛であったとしても、戦争は戦争。なおかつエリートさんには、国の行く末よりも派閥や組織を優先してしまうマインドがあるのです。事実、戦後70年たっても、官僚主義はこの国を滅ぼす原発の推進や、国土をこわす公共事業を着々とすすめています。

例をあげると、負けることを許さなかった日本軍は、撤退を転進と置き換え、言葉遊びで、国民をだまし続けました。現代でいうと、原発の爆発を事故でなく「災害」といったり、あるいは、道路公団は、値下げを「社会実験」と表現しました。いずれも、組織に巣食うマインドの深刻さを、気持ち悪く表現しています(*_*)

 

あらためて、家訓ニストは真ん中の立場で、世の中で流布される不安や、問題はほぼ無価値であり、本当の幸せは手が届かず案外そばにあって気が付いていないものと定義します。

つまり、嫁であり、こどもであり、家族です。そして、ちょっと無理をして隣三軒両隣。それでも解決できない問題は、選挙で思いを付託しましょう。これで充分!っていうかこれが国家です。

 

はっきり言いますが、それ以外は関係ない!と断言していい。

酒場でTPPの議論をするより、町内会長の人事を相談した方があなたの人生のためです。手の届く60cmまでがあなたの世界。たとえ車にのっても交通事故の6割は、家の近所でおこるのです。

 

「家訓」はあなたをつくり、そして家族を見守ります。

国家の本は家にあり。平和とは、あなたが平和を満喫しているか?その1点に集中すべきなのです。

 

そして、自身の幸せを考えた時。「お風呂」という先人が遺した素晴らしい文化が日本にはあります。

映画では、お風呂が、国民を堕落させるという元老院側のロジックと、お風呂によって、人間の豊かさを満喫し、社会の調和をはかる皇帝が描かれました。

 

会津の民謡のなかで、オハラ庄助さんは、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それでシンショウ(財産)つぶした、もっともだ~もっともだ~と謡われます

しかし、オハラショウスケ・イズムは人類のめざすべき理想かもしれません。

 

お風呂にはいれば、戦争なんて馬鹿らしくなる・・・

劇中では、そんなセリフもありました。バカバカしい話しですが、世界60億の人々が、おなじ気持でいられば、理論上、この地球上から争いがきえ、真の世界平和が実現するのです。

 

ラブ&ピースから、KAKUN&入浴へ・・・

 

世界平和の実現のために、温泉地での家訓づくり付きパッケージツアーの申し込みをお待ちしています^^ 、家族そろっての、温泉、料理、家訓の3点セット! あれ、本当にいけるんじゃない!?

 

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家訓二ストの近現代史

  その④


 栗林大将がおくった

   硫黄島からの手紙

 

 

 

 

「お父さんは、お家に帰って、お母さんとたこちゃんを連れて町を歩いている夢などを時々見ますが、それはなかなか出来ない事です。

たこちゃん。お父さんはたこちゃんが大きくなって、お母さんの力になれる人になることばかりを思っています。

からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言いつけをよく守り、お父さんに安心させるようにして下さい。   戦地のお父さんより」

 

たこちゃんとは、栗林大将の次女のこと、戦地にあって家族の行く末を思う素朴な気持ちが痛いほどわかる手紙です。

栗林大将は、当時としては、珍しくアメリカ駐在歴があり、開戦にあたり国の非力を誰よりも痛感していた理知的な軍人でありました。また軍人であると同時に良き家庭人でもあり、北米駐在時代や硫黄島着任以降には、まめに家族に手紙を書き送っています。

 

アメリカから書かれたものは、最初の子どもである長男・太郎が幼かったため、栗林直筆のイラストを入れた絵手紙になっているそうです。硫黄島から次女(「たこちゃん」と呼んでいた)に送った手紙では、軍人らしさが薄く一人の父親としての面が強く出た内容になっています。硫黄島着任直後に送った手紙が上段に紹介させてもらいました。

 

大東亜戦争のなかでも、激戦地として知られる硫黄島の戦いの中で、その指揮をとったのが前述の栗林大将です。東京の北区ほどの小さな島、硫黄島は、のちの本土への空爆をめぐって日米両雄の決戦地となりました。

作戦当初、物資両面で勝る米軍は、島の専有を5日で完了する予定でしたが、栗林大将の入念な作戦のもと、40日に渡る激戦に引きづりこまれ、戦傷者数でアメリカ軍が日本軍を上回ることになりました。

 

これはアメリカの建国以来最大の戦傷者となり、のちの沖縄戦を含め、日本人の逆境のなかで奮闘する姿が、アメリカ中枢部で、本土決戦を回避する選択肢を選ばせたと言われています。

 

負けて勝つ。硫黄島という小さな島をめぐる決戦が、栗林大将という傑出したリーダーのもと、本土決戦という最悪のシナリオを回避し、ひいては戦後の繁栄をもたらしたといっても過言はないでしょう。

 

またこの決戦の結果、米軍のなかで、バンザイ特攻を繰り返す狂信的な日本軍というイメージが払拭され、敵ながら相手を尊重する、畏怖の念が生まれるきっかけになったとも言われます。栗林大将を筆頭に、硫黄島に眠る2万の英霊は、日本の繁栄と共に日米の友情の架け橋になったのです。

 

事実、日本より、アメリカでの知名度の勝る栗林大将の半生は、イーストウッドによって映画化され、「硫黄島からの手紙」として封切られ、日米両国で話題となり、結果国内でも名誉回復が実現されました。

かくいう家訓ニストも、映画によってこの戦いを知った「知ったかぶり」世代です(>_<)

 

愛する家族を守りたい・・・その素朴な想いも、時代の周遊のなかでは、武力という手段しか選択できない時代もありました。

今日、硫黄島をはじめ、戦いに散った旧日本軍の戦没者は、英霊として東京靖国神社に奉られています。平和に暮らす我々の暮らしの基には、英霊の活躍があったこと、そしてそれに感謝することは必然なのではないでしょうか? 

 

今年も、元旦より閣僚による靖国参拝を批判するニュースが流されました。 批判自体を否定する気持ちはありません。確かに日本との交戦のなかで、不合理な一面もあったことですし、A級戦犯を奉っているというのも事実だからです。しかし隣国からの批判を、そのまま国際常識のように受け止める反日の報道姿勢は、別次元の話。日本の大臣、そして宰相が、国を代表して英霊に感謝をし、不戦の誓いをすることを批判する報道関係各位の「品位」を問いたいとおもます。

家族を守る素朴な気持ちは、戦中、戦後。そして平成の御代まで変わらぬものです。

 

不幸にして、命を削ることでしか家族を守れなかった時代、家族を行く末を案じる手紙は、栗林大将の軍人としてでなく、一人の人間としての普通すぎるパパぶりが、よく伝わるものです。そしてこの手紙は、栗林家の「家訓」になったものと断言できます。

 

手紙に記された家訓には、お母さんを助けられる大人になるために、健やかに、そしてよく勉強して言いつけをまもることを記しています。手紙を書いた時点で栗林大将は自分の余命が幾ばくもないことは知っていたはずです。家族に守って欲しいことを素朴に記した栗林家の家訓を家訓偉人伝として紹介させていただきます。

 

そしてこのお話にはつづきがあります。

元旦に靖国神社を参拝した新藤総務大臣。報道各社の批判を受けながらも、こんなコメントをだしています。「大臣として、英霊に感謝するのは当然のこと、そしてここには、祖父の御霊も奉られています・・・」

 

・・・ 祖父!?

 

新藤総務大臣の母親は、手紙に登場する「たこちゃん」。つまり、新藤大臣は栗林大将のお孫さんにあたります。68年の時をへて、栗林大将の願った家族の安泰が、次女のたこちゃんをへて、大臣として活躍する新藤大臣を誕生させた奇跡に、ただただ驚いています。

お正月、親戚が集まり賑やかな宴があっちゃこっちゃで、開催されていることと存じます。

こんな平和な世の中があるのも、栗林大将をはじめ多くの英霊の尊い犠牲があったうえでのこと、恩に報いるとは、英霊に手をあわせ、約束をすることです。

 

約束とはなんでしょう? 国を行く末を案じた英霊のために、われわれが、平和に健やかなにこの日本という国を守り、そして伝えることではないでしょうか?

 

不幸にも、戦争でしか家族を守れなかった時代から、平和な時代となり、毎日家族と過ごせること、毎日、職場で働けること、学校にいけることが当たり前になっています。

 

家族を想う気持ちは、いつの時代も変わりません。

あなたも家訓の唱和を通じ、家族の幸せを確認し、この平和な国、日本が続く礎とすることを約束してください!  

 





家訓二ストの近現代史

 その⑤


お盆だから考えたいこと

 

 

 

 


 


嫁の実家でお盆をすごしています
義父をなくし、いつも独りにさせてしまっている義母ですが、この数日だけは、孫に囲まれ賑やかに時間を過ごしているように感じます

お盆って本当にいい習慣です
そして、お盆には必ず、日本人として忘れてはいけない終戦祈念の日がやってきます。
 
毎年、この日に何を書くか?頭を悩ませますが、感じたことを感じたままに書いてみます


 

家族という社会を構成する最小の単位から、社会変革をめざす家訓ニストですが、家訓をつかったコミュニケーションで提唱するのは、ありきたりの普通の1日の大切さです。

 

父ちゃんがいて、母ちゃんがいて、ご飯がたべて、そしてお休みなさい!と、寝ることができる。

それ以上の幸せってあるのでしょうか?そして、現代に暮らすぼくたちは、幸せも、不幸も、抱えすぎなのかな?とも感じています。

 

お盆になると、ご先祖さんが、山や川から、戻っていらっしゃいます。実家では、お義母さんが、姪っ子にこんな話を聞かせていました

義母:「キュウリに足をつけるのは、馬に見立てて、ご先祖さんが早く帰ってこれるように、そして、茄子に足をつけるのは、牛に見立てて、ゆっくり帰ってもらうように」っと・・・

ご先祖さんから受け継いだ伝統を、おばあちゃんから孫へ。手渡しできるというのも、お盆の素晴らしさなのではないでしょうか?

 

いつも静かな田舎の集落が、お盆のときだけ、子ども達の声があふれ、山、川、田んぼ、そして神社での盆踊り・・・

消えつつある日本の原風景が、お盆の数日だけ復活しているのかな?と最近感じ始めました。おじさん、おばさん、従弟っと、普段、都会にすみ、顔を合わせない親戚が集い、亡き祖先のお話しや、たくさんの話しができるのもお盆の良さ、そして日本の夏の素晴らしさです。

 

そしてお盆の間には、8月15日がやってきます。

連合国側のポツダム宣言をうけいれ、日本が降伏をした終戦祈念の日です。多くの人命を失った戦争という悲劇のなかで、死してもなお、守りたかったものは、自分の家族の平穏、そしてお盆に出現する日本の原風景だったのではないでしょうか?

戦争という悲劇を繰り返してはいけないのは、もちろん、日本の原風景を守り、そだて、次の世代に受け継ぐことが、亡き英霊への弔い(とむらい)であると家訓ニストは考えています。そして、幡谷にとっての手法の1つが家訓づくりを弘める運動なのです。

 

終戦の日となった8月15日。

お盆と、終戦の日が重なっているのは、偶然ではありません。

それぞれの場所、それぞれの愛しい人と一緒に、今日という1日に感謝し、そして、自分を創ってくれたご先祖さんに感謝しましょう

山、川、たんぼ。日本の風景は美しいものです。それは、田舎にかぎらず、マンションにだって住宅地だって、美しさを感じます。しかし、日本を表す風景の中で、「あなた」自身が輝いていますか?

 

父ちゃんがいて、母ちゃんがいて、ご飯がたべれて、そしてお休みなさい!と、寝ることができる。

それ以上の幸せってあるのでしょうか?そして、現代に暮らすぼくたちは、幸せも、不幸も、抱えすぎなのかな?とも感じています。ありふれた日常の中でこそ、感謝し行動していくことで「にんげん」は光るものなのでしょうか?

 

家族をつくり、日本の原風景をとりもどす「家訓づくりプログラム」のオーダーをおまちしています。

 




家訓二ストの近現代史

  その⑥


 靖国神社 遊就館にて

 

  

 

 陸軍曹長 佐藤源治命 

昭和23年9月22日 ジャワ島ツナビンにて殉職死 

岩手県出身 32歳

 

1.僕は唱歌が下手でした 

  通信簿の乙一つ 

  いまいましさに 人知れず 

  お稽古すると 母さんが 

  優しく教へてくれました

2.きょうだいみんな 下手でした 

  僕も 弟も 妹も 

  唱歌の時間は 泣きながら 

  歌へば皆も 先生も 

  笑って「止め」と言ひました

3.故郷を出てから十二年 

  冷たい風の 獄の窓 

  虫の音聞いて 月を見て 

  母さん恋いしと 歌ったら 

  皆が 泣いて 聞きました

4.僕のこの歌 聞いたなら 

  頬すり寄せて 抱きよせて 

 「上手になった良い子だ」と 

  賞めて下さる ことでしょう

 

平成25年 12月8日 真珠湾攻撃の日、靖国神社に参拝後、遊就館に寄せていただきました

訪れる度に、胸が締め付けれらるこの施設で、今回は、この手紙に心を砕かれました。

今、書きおこしても、涙が止まりません・・・

 

戦争は、もちろんしない方がいい。

だれも望んで殺し合いなんかしない。

ただし、自分が大切にしているもののために、立ち上がらなければならない時もある・・・

 

佐藤曹長は、ぼくの年齢よりも若い32年の人生のなか、最期に残した手紙には、「親に褒められたい」そんな気持ちが綴られています。

自分の大切な親、兄弟を守る手段が、戦争しかなかった時代の不幸。

そして、平成の御代、あなたはどんな方法で、家族を守っていますか?

 

英霊の遺した手紙は、どれも素朴に、家族の未来を案じるものばかりでした。 そして「家訓づくり」は、伝えるべき言葉をみつけ、伝え、結果、家族を守るものです。

正直、家訓づくりも、家訓の旅も、簡単なものでもなく、心の折れそうな日はありました。 止まらない涙は、決意のあらわれ。佐藤曹長の御霊の前で、ぼくの戦いの決意を新たにさせていただきました。

 

改めて、靖国に眠る300万の御霊に、安らかな眠りを・・・

そして永久に続く平和を約束します

 

 

 



家訓二ストの近現代史

 その⑦


 幡谷邦三が遺したもの

 

  

 

 

 

 

 

幡谷邦三をご存知ですか?

 

邦三さんは、家訓ニストの祖父・哲郎の弟にあたる大叔父です。

大東亜戦争末期、ビルマ(現・ミャンマー)に出兵し英霊となられました。享年26歳、手先の器用な方だったらしく、実家には高校時代の美術の時間にほられた作品が残っています。


近現代史は、教科書の中の出来事でなく、あなたの身の回りの人におこった「事実」です。

家訓ニストの祖父母の時代は、そんな時代でした。ここでは、幡谷家の近現代史を紐解き、平和の尊さと今に残る教訓を論じてみたいとおもいます

 

ビルマは、インパール作戦で有名は激戦地です。若くして英霊となった邦三大叔父の半生を終戦の日に刻みます。

 

ネットで「幡谷邦三」と変換してください。たぶんこのブログが先頭にきて、他は何の情報もないことでしょう。でも、邦三は確かに存在し、祖国のため果敢に戦った英雄なのですです。若くしての出兵ということもあり伴侶も、ご子息ご息女はありませんでした。平成25年現在、邦三叔父さんのご偉功をたたえるものはお墓しかありません。そして家訓二ストは、長男としてこのお墓を守っています。ぼくにできることは、お墓の草むしりっと、消えそうな存在をこうしてブログに公開することだけと想い筆をとりました。

 

 

まずビルマ戦線の「インパール作戦」について記載します。

 

インパール作戦とは、1944年(昭和19年)3~7月に日本陸軍により企画された作戦で、日中戦争の補給ルートを断つ目的に、インド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことです。

しかし、補給線を軽視した世界史史上でもごじゃっぺな作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用されています。

 

この作戦の困難さを、距離関係を日本の地名に当てはめ説明します

 

仙台(メイヒョウ)にある軍司令部からの指示で、宇都宮(ウントゥ)に最後のコンビニがあり、兵士は、30~60kgの荷物を背負い軽井沢から、アルプスの一番高い槍ヶ岳(3180m)を通って、岐阜(インパール)にむかう。


・・・つくまでに、ヘトヘトになるのは目に見えているし、実際補給路を断たれた師団は、死の淵をさまよいます。まして雨季になれば、豪雨が泥水となって斜面を洗う山地は進む事も退く事もできなくなり、河は増水して通行を遮断することになりました

 

本作戦は参加した日本陸軍部隊・インド国民軍に多大な損害を出して、7月1日に中止された。日本陸軍の損害は、『戦史叢書』によれば、戦死者が第15軍の主力3個師団で計11400人・戦病死者が7800人・行方不明者1100人以上(計20300人以上)にのぼり、そのほか第15師団だけで3700人の戦病者が発生した。別の説によれば参加将兵約8万6千人のうち戦死者3万2千人余り(そのほとんどが餓死者であった)、戦病者は4万人以上ともいう 戦死者の主原因が餓死という悲劇に対し、この作戦の立案者でもある牟田口は現地で牛を調達し、荷物を運ばせた後に食糧としても利用するという「ジンギスカン作戦」を発案していた。しかしビルマの牛は低湿地を好み、長時間の歩行にも慣れておらず、牛はつぎつぎと放棄され、「ジンギスカン作戦」は失敗した。

 

また、当初の危惧通りインパール作戦が頓挫した後も強行・継続し、反対する前線の師団長を途中で次々に更迭した。このとき、戦況の悪化、補給の途絶にともなって第31師団長佐藤幸徳中将が命令を無視して無断撤退するという事件を引き起こした。 その後、佐藤中将は、極刑を覚悟しつつ作戦失敗の責任を追及する姿勢をみせたものの精神病との鑑定結果をもって軟禁、戦後をむかえる。

 

一方、牟田口は、4万人といわれる死者、しかも死因が餓死者という凄惨な作戦失敗の責任をとることもなく、戦後も自己弁護をつづけ長寿を全うした・・・

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

大東亜戦争自体の目的は自衛のものであったし、またこの大戦がきっかけにして、多くの国が独立を果たしたのも事実です。しかし、インパール作戦については、無謀であったと断罪できます。そして、この作戦の中で、邦三さんが参戦していたことを考えると、考察とは別の感情に押しつぶされそうになります。

 

イギリスでは、参謀本部が、作戦を考える際3%の死者があった場合、その作戦を中止するそうです。インパール作戦の死傷者はなんと7割(10万の兵士の投入に対し戦死者4万、病死者3万)。

そして牟田口は、陸軍士官学校を卒業した「官僚」でもありました。現場をしらないエリートの暴走は、いまの政治の有り方に良く似ています。 勝敗のつく戦地と違って、暴走する公共事業の失敗の責任をとるのは、未来の国民です。そして、官僚さんは牟田口と同じく悠々と天下りをし余生を送るのでしょう・・・

 

無謀な作戦の元、英霊となったの御霊にできることは、このバカバカしい作戦を未来への教訓として残すことなのではないでしょうか?

経験は、教訓として遺すことができます。家訓ニストの考える現代の「インパール作戦」は、東京電力による原発の爆発事故です。ここで史実と比較し、その無謀さを検証してみます。

 

 

東京電力を官僚型の統治機構とした場合、取締役は軍官僚。あれだけの事故をおこし、なおかつ数兆円の国費を投入されながらも、事故をおこした取締役達は、責任をとったポーズだけをみせ、退職金を懐にいれ、東電退任後は、関連会社に全員が天下っています。 そこに正義はあるでしょうか?

 

邦三大叔父の武功に報いるものは、経験を教訓にかえること。そこから何を学び行動するか?という未来への約束です。

邦三を殺したものは、アメリカでもなく、軍国主義でなく、責任を上手に回避する官僚組織という構造なのです。

 

そしてこの官僚組織の腐った構造は、行政や、東電だけでなく、今の日本をも病魔に巻き込んでいます。


ここで、あらためて、東電の取締役さんのその後を紹介させていただきます。

勝俣恒久会長  →日本原子力発電の社外取締役に再任

清水正孝社長 →関連会社・富士石油の社外取締役に天下り 

武井優副社長 →関連会社・アラビア石油の社外監査役に天下り

宮本史昭常務 →関連会社・日本フィールドエンジニアリングの社長に天下り

木村滋取締役 →関連会社・電気事業連合会の副会長に再任 

藤原万喜夫監査役 →関連会社・関電工の社外監査役に再任

 

それぞれのご家族は、海外に移住済みとの報道もあります。東電の官僚組織の保身の見事さと、今も帰宅できない15万人の福島のみなさん。そして同じ会社内でも過酷な状況で指揮をとりつづけ、命を削った吉田所長の姿・・・


インパール作戦のバカバカしさと、凄惨な結果。

そして絶対安全だ!と言いつけられてきた原発事故の結末と、住民の皆様のご苦労・・・

 

似ていると思いませんか?

温故知新。歴史を学ぶことは、今を知ること。 おばあちゃんの家にいったとき、古ぼけた絵が一枚ありました。幡谷邦三大叔父が、図工の時間に作ったものだと、おばあちゃんは言いました。

 

7万人といわれる英霊に、7万通りの物語があったことでしょう。 同じように、福島の15万人の帰宅困難な皆様にも、15万通りの物語があるはずです。 終戦の日に、考えることがたくさんあります。大東亜戦争での戦死者、軍人230万人。一般人80万人。300万通りの来れなかった未来に私たちは暮らしています。英霊にそっと手をあわせ、あなた自身が「考える」そんな1日にしてください。

 

改めて、靖国に眠る300万の御霊に、安らかな眠りを・・・

そして永久に続く平和を約束します。

 

 


家訓二ストの近現代史

  その⑧


マッカーサーの告白より

 

温故知新。

古きを訪ねて新しきを知る。歴史を学ぶことは、未来を知ることです。

 

学校で習う科目に「歴史」がある理由もまったく同じです

しかし、実際の教育現場では、一番の教訓がつまった近現代史の部分をずっぽり教えず、1000年も、あるいは2000年も前の、年号や人名などを連ね覚えるクイズを続けています

 

算数でたとえると、数字の成り立ちだけを教えて計算の方法を教えてない・・・そんな教育を戦後の70年間続けてきたのではないでしょうか?

 

未来を知るために、一番の教材になる日本の近現代史。

日本におこった悲劇を繰り返さないこと、また多くの英霊が死してもなお残そうとしたものを私たちは、学び、守り、伝える義務があります。

 

ここで、Facebookで拡散されていたGHQ長官 ダグラス・マッカーサーの告白をブログに転載します。

 

マッカーサーは、戦争時には、日本と戦う総責任者であり、また敗戦後は、占領下の日本にあって長官という立場から、戦後復興を指揮した人物です。

 

歴史認識には、それぞれの立場から、それぞれの正義、それぞれの真実があります。日本が戦争に突入した経緯の中でも、侵略戦争であった側面があったのも事実、自衛のための戦争であったことも事実。

 

しかし、実際に戦線で対峙した敵方の大将が、「日本が侵略戦争をしたわけではない!」と語っていたことに驚きです。

 

子供たちの目線では、自分の生まれ育つ国が世界から尊敬される国であってほしいもの。

そして先の大戦で命を落とされた英霊には、安らかに眠りについていただきたいもの。

 

歴史学者が何を言おうと、当事者の独白以上の「真実」があるのでしょうか?

教科書には乗らない歴史の真実は、こちら・・・

 

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 「マッカーサーの告白」

 

日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は何も悪くありません。日本は自衛戦争をしたのです。...

 

イギリスのチャーチルに頼まれて、対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。アメリカは日本を戦争に誘い込むためにイジメにイジメぬきました。そして最後通牒としてハルノートを突き付けました。

 

中国大陸から出て行けだの、石油を輸入させないなど、アメリカに何の権利があったというのでしょう。当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人はよくて日本人は許さなかったのです。ハルノートのことは、私もアメリカの国民も知りませんでした。

 

あんな物を突き付けられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画を建てました。アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。

 

戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。日本がアジアを白人の植民地から解放しようとしたという本当の理由を隠すため大東亜戦争という名称を禁止し代わりに太平洋戦争という名称を使わせました。

 

東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学など要職にばら撒きました。

 

その教え子たちが今マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。

徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。

 

ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。これらの政策が功を奏し今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。

(※註:1951年の時点で正気に帰ったマッカーサーが、この今に続く問題を憂いている)

私は反省しています。自虐史観を持つべきは、日本ではなくアメリカなのです。戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。

 

最後に私が生きていた時の証言を記して謝罪の言葉としたいと思います。

「私は日本について誤解をしていました。日本の戦争の目的は侵略ではなく自衛のためだったのです。太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国において強大にさせたことでした。東京裁判は誤りだったのです。

日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。
歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。

これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だという事を意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることができませんでした。

日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然でした。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない。錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。その全てがアジアの海域に存在したのです。
もしこれらの原料の供給を絶ちきられたら一千万から一千二百万の失業者が日本に発生するであろうことを彼らは恐れたのです。
したがって日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

 

アメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会にて

 

 

  

 


 

 

 

 家訓ニストの近現代史

その⑨

昭和天皇のご遺徳

  

国としての品格は、その国民が自分が偉大なる民族に属するのだという感情によって支えられ、そこから力を得るものである

19世紀 イギリスの思想家「スマイルズ」

 

今日は、昭和天皇のご生誕を祝した旧天皇誕生日(現在の昭和の日)です。

皆様は『天皇』について、どれだけ説明することが出来るでしょうか?

 

FBの投稿では、「天皇制」と発言したところ、日本には、「天皇制」なるものはなく、ただ万世一系、ただおわすだけであるっとご指摘を頂戴しました。自分の不勉強が恥ずかしい限りです。ご指摘ありがとうございました

 

幡谷自身も、うるおぼえのように、ただおわすだけである天皇陛下の存在は、だれも教えてくれません。まして、左よりの思想に縛られている子どもたちが学ぶ教科書には、「天皇家」「天皇陛下」についての記述はありません。もちろん、神話までさかのぼる建国の歴史を記す訳もなく、アイデンティティの醸成に課題があるのが現状です。日本という国の元首は、天皇陛下です。各国の大使が任官の挨拶をされるのも、陛下ですし、また国璽と尊称されるハンコを、国家の重要文書に押す役割も担われています。

 

右や、左の立場の違いは、宗教の自由と等しく、それぞれが信じる真を貫くことが大事です。ただし、現状に不満があるのなら、自分自身が語り部となり次の時代に正しい国史を伝える必要があるのではないでしょうか?

 

『天皇家』は、現存する最古の王朝であり、現存する唯一のエンペラーであり、 現存するただ一つの神話をバックボーンに持つ血統です

 

 民主主義の国が増える中、イギリスを筆頭に国王を持つ国もまだまだあります。では、天皇と国王とは、何が違うのでしょう?天皇についてはemperorと表記します。他の権威と比べるとこんな感じになります

 

皇帝(emperor)≧法王(Pope)>王様(king)> 大統領(president)>首相(premier)

 

で、これを現在の世界情勢に合わせてみると・・・

 

天皇陛下(emperor)≧ローマ法王(Pope)>英国女王(Queen)> アメリカ大統領etc(president)>日本国首相etc(premier)  

 

以上のように、皇帝の称号をもつ『天皇』が世界で一番の権威を誇っています

実際、天皇陛下と他の国の皇族の方が集まる場合、天皇陛下は別格の扱いをうけることが多いようです。また、アメリカにおいても、大統領が正装で出迎えをするのは、ローマ法王、イギリスのエリザベス女王。そして日本の天皇陛下だけです。

 

あらためて、我々日本人はどれだけ「天皇」のことを知っているでしょうか?

画像は、終戦後、傷ついた国民を励ますために、日本全国を巡幸された昭和天皇のお姿です

 

不遜ながら私自身の昭和天皇のイメージといえば、御歳をめした好々爺の印象です。しかし、天皇陛下も、当然、青年期もあれば、子どもの時代もあります。昭和という時代をつくったのは、まぎれもなく、ひとりの「裕仁」という偉人です。

 

今回のブログでは、昭和の日を祈念して、偉人という言葉も薄っぺらく感じる天皇陛下の奇跡のエピソードを紹介していきます

 

 


■マッカーサーとの会談

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大東亜戦争終結後、戦後処理の一番の論点は、昭和天皇の戦争責任についてでした。戦勝国の中でも、意見がわかれる中、GHQのマッカーサー長官は、昭和天皇との会談にのぞみます。

 

会談の前のまで、長官は昭和天皇の責任を追及する立場でした。しかし、会談後は、態度を一変し、擁護する姿勢をつらぬきました。

 

いくつかの回顧録を総合するとこのようなやりとりがあったそうです。

 

昭和天皇:

「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」

 

多くの国の統治者は責めから逃れようと命乞いをし財を守ろうとします。しかし、昭和天皇の多くのそれとは違っていたのです。またマッカーサーは

この言葉に、マッカーサーは驚きました。彼は、昭和天皇が命乞いにくるのだろうと考えていたからです。
 
マッカーサーはこの時の感動を、『回想記』にこう記している。
「私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに、天皇に帰すべきではない責任までも引受けようとされた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った」

 

この時マッカーサーは、次のように返答したという。
「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい」(藤田侍従長による『侍従長の回想』)

 

マッカーサーは、立ち上がって昭和天皇の前へ進み、抱きつかんばかりに天皇の手を握りしめて、「私は、初めて神の如き帝王を見た」と述べた。
わずか37分間の会見で、マッカーサーの昭和天皇に対する態度は、まったく変わっていた。

 

会見前は傲然とふん反りかえっているよな態度をとっていたマッカーサーが、会見後には昭和天皇のやや斜め後ろを歩くような敬虔で柔和な態度で、会場から出て来たという。
会見後、マッカーサーは予定を変更して、自ら昭和天皇を玄関まで見送った。当時、ソ連やアメリカ本国は「天皇を処刑すべきだ」と主張していたが、昭和天皇の態度に感動したマッカーサーは、これらの意見を退けて、自ら天皇助命の先頭に立ちました。

 

天皇陛下が、無私の立場を貫き、命をとしたこの会談では、食料不足に悩む国民のため援助を引き出すことにも成功しています。戦前、天皇陛下が君臨する政治体制を「国体」と表現していました。この「国体」は神話の世界から2600年間。史学的に証明できる一番古い天皇からさかのぼっても1500年間、たえず守られてきたものです

 

建国からわずか数百年。まだまだ若いアメリカという国にあって、マッカーサー元帥が、陛下の人徳にふれ、赤子のようにひれふす姿は痛快です。

 

昭和天皇は、敗戦の4ヶ月後1946年歌会始で、こんな歌を詠まれています

 

降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ

松ぞ雄々しき人もかくあれ


国体の滅亡の危機から救ったものは、銃でも、爆弾でもなく、陛下のお人柄と、人徳でした。

 


 ■戦後の巡幸

 

 

 

 

 

 

「石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね、旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなくて人間だ、いうことをね。それが生きた民主主義の教育というものだよ。」

 

昭和21年2月、昭和天皇が全国御巡幸を始められた時、占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされたそうです

 

しかし、その結果は高官達の"期待"を裏切るものでした。昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られた。行程は3万3千キロ、総日数165日。各地で数万の群衆にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかったそうです

 

イギリスの新聞は次のように驚きを率直に述べた。

 

日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。

 

イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、長男が即位したが、わずか1ヶ月で廃位に追い込まれた。それに対して、日本の国民は、まだ現人神という神話を信じているのだろうか?

 

欧米人の常識では理解できないことが起こったのです。

 

また巡幸の際、地方によってはまともな宿泊施設がなかったため、焼け残った民間の建物や学校の教室にお泊まりになることも厭わなかったそうです。また炭鉱では労働者が皇室制度に反対する演説をぶとうと待ち受けていたが、いざ昭和天皇がこられると、自然と万歳を唱えていたと伝えれています。

マッカーサーをとりこにしてしまったように、陛下のもつ「おおみごころ」には万人を包み込む優しさがあふれています。

 

石油も、鉄もとれない日本という国にあって、唯一の資産は、「人」です。焼野原になった国土を再生すべく、奮闘した無名の人々を陛下はたえず励まし、お心をお寄せくださいました。戦後数十年で世界有数の経済大国になった奇跡の源に、陛下の優しさがあったのではないでしょうか?

 


 ■吹上御所のおはなし

 

 

 

 

 

昭和天皇のお住まいのお話しです。終戦後、陛下は皇居内の「ご文庫」という建物にお住まいでした

 

この御文庫、爆弾の飛来を想定して建造したのはいいものの、天井に詰めた砂は建設当時雪が積もっていた砂をそのまま詰めてしまっていて、溶けた水が何年も経ってからコンクリートから浸み出してぽたぽたと落ちてくるありさまでした。

同じく御文庫附属室は地下深くにあったため、そこから伝ってくる湿気も酷いものだったといいます。スーツを吊るしておくと一両日のうちに湿ってしまったのだとか。

 

こんな場所に陛下を住まわせてはおけない、と侍従は御所の新造を提言しますが、陛下は「世の中には住む家の無い人もあるのに、私にはこれだけのものがあるのだから」とあっさり却下。

 

では、せめて修理を…と、調査してみれば天井裏からなんとドラム缶2本半もの水が出てきたのです。

これはいかんと再三にわたり陛下に新造を奏上するも、やはり陛下の答えはNOでした。

 

そして日本は戦後の混乱期を乗り越え、高度経済成長期を迎えます。昭和34年(1959年)皇太子殿下(今上陛下)御成婚で世間はミッチー・ブームに沸きますが、そのときですらなおまだ両陛下は御文庫にお住まいになっていました。

 

結局それからさらに2年、終戦から丸16年経過してようやく新たに建てられた吹上御所にお移りになったのです。 吹上御所は延べ1,504㎡。鉄筋コンクリート2階建ての洋風建築で「こんないい家に住めるようになったのもみんな国民のおかげだ」とこの年に還暦を迎えた陛下はおっしゃったのだそうです

 

また1937年、昭和天皇は、ゴルフ場として利用されていた吹上御所内の敷地を、自然林に戻す計画をたて、以後90年近くかかり、大都心に自然がよみがえさえました。その敷地は、115万平方メートル 東京ドーム25個分です。最近の調査では、カワセミやホタル、たぬき、紅糸とんぼ、そして自然の豊かさを象徴するオオタカが生息しているそうです。

  

いまだに多様性を無視し、河川敷をガンガンコンクリートで固める御役人様に比べ、昭和天皇の示されたビジョンには、はるか天より見通すような慧眼を感じます。

 

生物学者としても活躍された昭和天皇は、できるだけ人の手をいれず、そして100年、200年という単位の計画で、都心のど真ん中を森に変えられました。また、一節には、1923年におこった関東大震災の被害をみて、万が一の避難場所として森を残したとも言われています。

  

慈愛と、確かなビジョン。そして行動力に溢れた昭和天皇は、自身のつくられた「森」についてこんな言葉を残しています。

 

「雑草という草はない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」 

 

侍従長だった入江相政(すけまさ)さんが昭和天皇の言葉として紹介しています。 昭和天皇の留守中に庭の雑草を刈っていた入江さんに対してなぜ草を刈ったのか尋ねたところ「雑草が生い茂って参りましたので、一部刈りました。」という答えに対して仰った言葉です。

 

昭和天皇のご遺徳はもちろん、今上天皇も、昭和天皇が熱望してやまなかった沖縄への巡礼を実施、またサイパンや、ペリリュー島への慰問も実現しています。

 

巡幸は戦後だけでなく、被災にあう度にお姿をおみせになられます。 震災後の混乱時に、いち早く国民にむけてのメッセージをお出しになり、痛みを共に感じるために、計画停電にあわせて、電気をつかわない生活を実践されていたそうです。

巡幸も、宮城、岩手、福島の3県だけでなく、埼玉、千葉、茨城の被災地もめぐられています。忘れられた被災地といわれる茨城には首相も大臣もくることはありませんでした。しかし、陛下がいらっしゃることになり、その後の復興のスピードが加速的に進んだと住民の方が教えてくれました。戦後の混乱期、そして被災地にあって、国民が傷つき打ちのめされた時、弥勒菩薩のように現れる陛下は、本当の意味で現人神なのかもしれません

 

世界的な権威であり、謙虚であり、政治家であり、無私のひとであり、どれだけ賛美の言葉を並べても、昭和天皇をあらわす言葉がみつかりません

 

昭和の日。昭和天皇のご遺徳に触れ、とてつもない日本の歴史を子どもたちに伝えてあげてください。

 

19世紀 イギリスの思想家「スマイルズ」は、国としての品格は、その国民が自分が偉大なる民族に属するのだという感情によって支えられ、そこから力を得るものである。と述べています。

 

せっかくのゴールデンウィーク。子ども達と、森、川、海。日本の財産を満喫し、偉大なる民族の元に生まれた喜びを分かち合う休日となることを祈念しています^^