偉人伝の可能性

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下村博文文部科学相は、在任中、文部科学省作成の小中学生向けの道徳補助教材「心のノート」の改定に関し、偉人伝を導入する考えを示しました。国会の答弁でも、「偉人は歴史、国境を超えて人が人として生きる道標として参考になる」と発言しています。

 

「心のノート」は2002年に全国の小・中学校に配布された。1997年の神戸連続児童殺傷事件をはじめ、悪質な少年犯罪が多発していたことで、「心の教育」の重要性が叫ばれていたことがきっかけとなっている。民主党政権下で全員への配布が中止していたが、自民党政権となり全員配布が復活することが決まっています。「道徳教育の教科化」とともに、内容の改定が議論されています。

 

偉人について教育することは、規範意識を高めるほか、自助努力を肯定することにもなります。

日本青年会議所でも、2011年徳溢れる心醸成会議にて、「ドリカムキッズ」(偉人伝プログラム」)をスタートさせています。

本会の運動としては、一休み感があるものの、「偉人伝」の必要性は増すばかりです。

  

画像は、そんな趣旨に賛同していたき、手作りの偉人伝を作成した相模原青年会議所の皆様です。

「偉人伝」といって伝え方には、たくさんの方法があります。本を読んだり、発表をさせたり、そんな中、青年会議所では、「紙しばい」というツールを使うことを推奨しています。

 

徳育&地域版の可能性

今回、相模原青年会議所では、従来の偉人伝に加え、地域版として、相模原にゆかりの深い人物を掘り起し、リニア開発の父の半生を紹介しています。こうした取り組みは、徳育の効果はもちろん、郷土愛の醸成にもつながります。

 

地域版の偉人伝は、富山では、「藤子・F・不二雄」の偉人伝や、水戸の「徳川斉昭」など、様々なチャンネルが誕生しています。こうした運動がひろがれば、偉人オリンピック?や、商店街のおばちゃんの偉人伝、そしてそして、自分のおじいちゃん、おばあちゃんの半生を孫たちが調べて紙芝居にするっなんて活用もできそうです^^

 

夢がひろがる「偉人伝」

家訓二ストとして活動をつづける幡谷ですが、もしかしたら、「偉人伝」の方が可能性があるのかもしれません(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偉人伝の意義 

偉人達の心や、生き方、生き様を学べる偉人伝は、価値の高い教育です。偉人伝を取り入れた徳育は、偉人の境遇の中に、自身の成長を重ねあわせ、諦めない心や、創意工夫と努力精進で、困難に打ち勝つといった効果を期待することができます。

 

先日、ある企業の経営者の方がテレビで、 「どうして、そこまで諦めずに頑張れるのですか?」と子供達から聞かれて、考えてみたら、 「偉人伝を学んでいた事で、僕は諦め方を知らない男になった」 というような事をおっしゃっていました。

 

目標がないより、目標のある人生の方が、充実していくのは当然です。

「今勉強しないと、困るのはあなたよ!」とか「大学くらいは出てないと」っとか、モヤ~とした目標よりも、福沢諭吉のようになりたい。あるいは、野口英世のように、多くの人を救いたいなど、「偉人」の生き方を目標にさせる方が、たくさんの意義を生むのです。

 

 

なぜ勉強するのか 

ネット上で、勉強をなぜするのか親に訊いたときに、コップを指して 国語なら『透明なコップに入った濁ったお茶』、算数なら『200mlのコップに半分以下残っているお茶』、社会なら『中国産のコップに入った静岡産のお茶』 と色々な視点が持てる。多様な視点や価値観は心を自由にするという内容を諭されたとのツィートが話題になりました。

 

世のお父さん、お母さんは、子ども達が勉強してくれないっと悩んでいることでしょう。家訓二ストは、そんな親御さんに、子ども達を勉強に向かわせるたった1つの方法を提案します。その方法とは「意欲」の醸成です。やる気スイッチさえ入れば、止めたって子どもは勉強を始めます。そして、「意欲」をつくる一番のツールが「偉人伝」なのです 

  

 

国語・算数・理科・「偉人」 

暗記、暗唱は、学問にとって障害でしかありません。

 

社会に出た時、求められる能力は、自分で考案し、導き出すものです。暗記していては意味がありなせん。中国の古典では、学問とは、「門」のようなものだと喩えています。つまり、「門」事態には意味がなく、大切なのは、その門を通って、どこに行き、何をするか?という視点なのです。

 

たとえば、小説を一冊暗記させたら、文学の面白さや味など失せてしまいます。暗唱には、情緒、情感が入り込む余地がないからです。そして、歴史の年号に、何の意味があるのだろう。歴史から何を学ぼうとするのか。歴史の年号や人名を暗記する事で勢力を使い果たし、歴史から人生や世の中を知る余力がなくなってしまっています。歴史は、面白い。その面白さは、年号の暗記にはないことは明白です。受験の技術に過ぎない「暗記・暗唱」を有難く奉っていても、「学ぶ」という本質とは、たいぶ遠いことを自覚しなくていけません。

 

子ども達が学ぶ科目でいえば、国語・算数・理科・社会っというのが定番ですが、これからの時代は、国語・算数・理科・偉人。1年間50人の偉人を勉強すれば、一人や二人は、尊敬できる人、こんな人になってみたいっという目標となる人物に出会えることでしょう。

 

「こんな人になりたい」っという素朴な気持ちこそ、「意欲」を醸成させる一番のエレルギーになるのです。そして、「意欲」さえ持たせちゃえば、お子さん達のやる気スイッチが入って、勉強も、お手伝いも積極的になるはずです。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンプル・・・福沢諭吉の偉人伝

 

福沢諭吉 

生誕:天保5年12月12日(1835年1月10日

没年:明治34年(1901年)2月3日) 

   

「ペンは剣よりも強し」

血気盛んな維新の英雄の中にあって、諭吉は官に仕えず、在野の立場で国の行く末を案じた諭吉は、教育の重要性をとき、慶応大学を創設します。慶応の紋章は、教育は剣よりも強いとばかりに、ペンがデザインされています。

 

さてそんな諭吉先生は、生徒さんだけなく、ご家族にもしっかりとした教育を施しています。それが、「ひびのをしへ」と題した福沢家の家訓となります。 

  

福沢諭吉「ひびのおしえ」(日々の教え) 

一、うそをつくべからず。  

一、ものを拾うべからず。  

一、父母に聞かずして  ものを貰うべからず。  

一、強情を張るべからず。  

一、兄弟けんか、かたく無用。  

一、人のうわさ、かたく無用。  

  

 『ひびのおしえ』は福澤諭吉が子息一太郎と捨次郎の兄弟のために、一日毎に書き与えた教訓集。正式名称は『ひゞのをしへ』。 福岡にお住まいの江藤さんは、「ひびのおしえ」を、家訓とし、子供たちと実践しています。 家族と一緒にショッピングモールに行った際、イベントで風船を配っていたそうです。たくさんの子供が駆け寄る中、下の娘さんはじっとしていたそうです。

 

江藤さん:「風船いらないの?」 と聞くと、娘さんはこう言いました

娘さん :「父母に聞かずして ものを貰うべからず」 と答えました。

 

娘さんはまだ幼稚園生。 家訓の効果、恐るべしです 

 

 

■福沢諭吉とは?

福沢諭吉は、慶応大学の創設者であり、「学問のすゝめ」等の著作を送り出した他、学者、教育者の枠に収まりきれない数々の偉業を成し遂げた偉人です。

 

諭吉は、豊前中津奥平藩の士族、福沢百助の5人兄弟の末っ子として生まれています。 父が大阪に奉公していた関係で大阪で生まれますが、3歳の時に父が死去。大黒柱を失った一家は、中津(大分)に帰参し、母・於順(おじゅん)は、親戚の家に身を寄せるような貧しい生活環境の中でも「お父さんのようになれ!」と子供に言い聞かせ、厳しい躾で遺児を育てたと言い伝えられています。

 

のちの秀才ぶりに目がいきがちですが、諭吉の少年時代は、大阪から中津に移ったために地元の子ども達と上手くいかずイジメにあっていたそうです。またイジメが原因で、引きこもりをだったとの記録もあり、学業の成績もパッとせず、暗く厳しいものでした。 しかし、苦しい生活のなかでもまっすぐ生きる母の姿と、母から聞かされる亡き父の生き様を手本に、諭吉少年は成長し、今につづく偉業をなしとげていくのでした。  

 

 

■福沢諭吉から学ぶもの

教育の大家ともいえる諭吉が、子供たちに伝えたかったことは、等身大のメッセージばかりでないでしょうか?

 

 諭吉の父親・百助は、諭吉が3歳のとき急死しており、中津藩の下級武士として、苦学をするも、身分のために官職にもつけず生涯を終えたことが知られています。歴史的には光のあたらない人物ですが、諭吉の母親は、常々「お父さんのような人になれ」と諭吉を含めた子供たちを諭しています。諭吉自身、尊敬する人物の一番に父親の名前を挙げていたそうです。

 

本当の偉人は、福沢諭吉でなく、諭吉を育んだお父さん、お母さんです。子どもたちを育む一番の教科書は、親の背中ではないでしょうか?諭吉の父・百助は、死ししてなお、生前の生き方をもって、立派に家族を誘いました。人は死んだとき、その真価が問われるものなのです。あなたの人生をかけ、未来の偉人を育てましょう。天は人の上に人をつくらず。人は、教科書でなく親がつくるのです。

あなたの背中で、子供たちを導き、末は博士か大臣か、はたまたお札の肖像画に育て上げてください^^

 

【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず】

 学問のすゝめの中で、あまりに有名な一説のあとには、もっと大事なメッセージが込められています。そこには、「人の世は平等ではない」と断言し、さらに、さらに人の差を分けるものは、【学問をしたか、しなかったか】によるものであると訴えています。 

 

われらは、同じ人であるのに、仕事や身分に違いが出るのはどうしてだろうか。同じであるのに違うのならば、違う部分があるのであり、その違う部分というものこそが、学ぶと学ばないとにあるのである。人の違いは、生まれつきにあるのでなくて、学問に励んだのか、学問に励まなかったのかにあるのだ。 (「学問のすゝめ -現代語訳より)

 

 

 【学問は、役に立つものを学べ】  

 自らも慶応大学を創設した福沢諭吉は「学問のすすめ」で学問の重要性を説いているが、この学問というのはいわゆる机上の勉強に終止するものではなく、世を渡るのも、商売の帳簿をつけるのも、時代の情勢を見つめるのも「学問」としています。 そして、学問の本質は、自分がどう活用できるかにかかっている。知識は、議論により交換したり、公開して広めるように努めなければならない。とも述べています。

 

  

学歴社会と言われる現代にあって、その基礎を作ったともいえる福沢諭吉が痛快なまでに、机上の空論を廃し、さらに「実学」(役に立たなければ意味がない)を提言していることに言葉の重みを感じます。 【ただ他人に迷惑をかけないだけでは、 世の中の役に立つことにはならない。】 そして、学問のすゝめの最後には、国民は社会の発展に励むこと、を強く推奨しています。 衣食住の安定を求めるのは、自立した個人としては当然のことであり、それだけで満足してはならないとのべ、、社会の一員としての立場を自覚し、社会の発展に尽くさなければならないと断言しています。 学歴エリートさんが、個人の貯蓄だけ増やすことに何の意味があるのか? 福沢諭吉は100年前の日本から、そのくだならなさを論破しているようです。 そして、何のために勉強するのか?という問いに対し、こんなメッセージをおくり、著作をしめくくりました

 

 

 文明は祖先が残してくれた莫大な遺産である。

我々の責務は、現代社会に生きた痕跡を残し、これを後世に伝えることである。  

 

福沢諭吉は、学問を奨めています。ただし、その「学問」とは、資格試験でも、学歴でもなく、ヒトの役にたつための実学です。

会社でのお父さんのがんばりも学問。育児に、料理に、家族たちへの気遣いもまた「学問」です

 

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。しかし、社会には明らかに、貧富の差があります。

その差を分けるものは、「学問」の差。そしてその学問とは、机の上でカリカリ勉強するものでなく、どれだけ人の役にたてるか?と諭吉先生は訴えました。

次の時代に「笑顔」という遺産を残せるか? 諭吉先生の半生をみるとそんな宿題と向き合った人生だったことが分かります。

 

学問のすゝめ。それは、とうに学生時代をおえたおっさん、おばさん、おじいちゃんこそ、福沢諭吉の人生から学ばないといけないのかもしれません(^_^;)