高千穂で感じた神様のこと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夜神楽」とは?

高千穂の夜神楽は、宮崎県高千穂町に伝わる民俗芸能。毎年11月中旬から2月上旬にかけて、町内のおよそ20の集落でそれぞれ氏神を民家等に迎えて奉納される神楽です。また高千穂神社の神楽殿では年間を通じて観光客向けに代表的な神楽を演じている。

 

現在は神道信仰に基づく行事として行われているが、実態は狩猟採集文化や農耕文化の名残を留めつつ、修験道、陰陽道、仏教の影響、さらに国学による修正もうかがわれ、日本の文化を織り成す多様な要素が混在しているのも特徴です

 

 平成28年6月17日、高千穂に伺い、念願の夜神楽を観覧することができました^^

神々しくも、ありがたく、そしてエンターテイメント?の要素も盛り込まれた楽しい夜をすごすことができました。

 

唯一残念だったのは、本来であれば会場いっぱいに詰めかける観光客の数が、この日はわずか10名たらず・・・ 熊本の地震以降、こうした状況がつづいているそうです。

 

被災地支援の1つとして、観光にいってお金を落とす!というのも大事なことかもしれません。来月からは政府の観光キャンペーンがはじまり、最大6割、7割びきで、九州各地の観光を楽しめるそうです。汗をかける人は汗を、お金をおとせる人はお金をつかって、被災地支援をしていきましょう^^

 

「神話の故郷 日向」

高千穂のある宮崎県は、古くは国名を日向といい、神話の故郷と言われてきました

日本の神話は、古事記、日本書紀に記述され、いまも多くの神社や風習に神話の影響がのこっています。

とくにここ日向は、「天孫降臨」の伝説や、初代天皇として即位される神武天皇がお生まれになり、また東征の出発とした云われのある土地です

 

 

「1分でわかる建国の歴史」

 

Q:日本の建国したのは、いつでしょう?

A:紀元前660年 2月11日 

 

Q:では、建国したのは誰でしょう?

A:初代天皇として即位した神武天皇です。

 

    

■神代から現代へ

 

神話はおとぎばなしでもなく、地域地域に神話に由来を根ざすご祭神があり、秋祭りあるいは、初詣と、暮らしの中で共に息づくものです。

 

たとえば、高千穂の夜神楽で演じられる演目は、神話に根ざすもの、そして子孫繁栄を願うものです。

「天岩戸」の伝説が語られる舞いでは、太陽神アマテラス様が岩蔵にお隠れになり、世界が闇につつまれたものを、大勢の神様が智慧をしぼり助け出すというストーリーです。

 

そしてこの物語には現代につづく内容が含まれています

アマテラスさまの子孫が、100代つづく天皇陛下ご自身であり、また天岩戸で使われた鏡が「三種の神器」として知られる鏡とされています。三種の神器とは、歴代の天皇さまが最も大事にされてきたもので、「八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣」を指します。

 

皇族はもとより天皇でさえもその実見はなされていない神秘に包まれており、八咫鏡は、伊勢神宮の御神体としてあがめられています。

 

戦乱の絶えない人類の歴史の中で、建国の歴史が神話にまでさかのぼるのは日本だけです。

建国当時の日本列島には、紙はもちろん、文字もない古代に属します。しかし民族の歴史を我々の祖先は、神社や信仰、そして神楽などの手段で伝えてくれました

 

世界中で日本が一番古い国です。そして、それは尊い国ということでもあります。

 

最近の考古学の調査では、建国の地とされる奈良県橿原から多くの出土物がでてきており、3世紀に登場する古墳群の存在、4世紀の朝鮮に残る好太王碑文の記述、お堅い歴史学者が、実在を認める天皇までさかのぼっても、実に1500年の歴史を誇っているのです。日本の次に古い王族は、英国王家の1000年です。桁違いに古い歴史をもつことは自覚と、自慢をしなければなりません!

 

古事記に記された神話は、もともと神楽として伝えられてきたものがベースになっていると言われています言葉にするとややこしい神さまの名前やストーリーも、神楽であれば、楽しく学べる気がします

 

「信じる宗教」。「感じる宗教」

一般に、キリスト教や仏教やイスラム教は「信じる宗教」日本の神道は「感じる宗教」と表現されます。どちらが優れている?という議論でなく、どちらにも特有の素晴らしさがあります

 

仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教など、いずれの宗教も平和や救いを教えています。

 

しかし、世界では宗教の対立が後をたちません。

 

信じるものは救われるっとしながらも、じゃ、他人が信じる宗教が違っていたらどうなるでしょう?宗教はおのれの絶対性を信じるがゆえに、一転して、排他的となり、ときには戦いに発展してしまいます。これを宗教戦争と呼びます。現代でもイスラム国を代表とする中東情勢では、政治的な利害や信仰の違いが複雑さを増し、出口のない混乱が続いています。

 

歴史は繰り返すの格言どおり、人類に幸福をもたらす信仰は時に、大きな禍(わざわい)を招くことにもなるのです

  

こうした宗教対立は、一神教のユダヤ、キリスト、イスラムの世界での出来事であって、日本のように八百万神の存在を認める多神教の風土では他人事のように感じないでしょうか?

  

 

■世界が日本を待っている!日本人の宗教観

 

 多くの日本人は、クリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、神社に初詣に行く。こうした複数の宗教を横断して信仰してしまう日本は、世界でも珍しい寛容な宗教観を持っています。

  

世界では宗教戦争が頻繁に起きています。しかし日本でそういったことがほとんどないのは、先人のたゆまない努力の結果、政教の分離と、個人の信仰の自由を保障できたこと、そして、神道に根差した、他の宗教の信仰から、柔軟にいろいろなものを取り入れ、受け入れることができた点があげられます。

 

G7と言われる先進国首脳会議の構成メンバーのうち、キリスト教圏ではない国は日本だけです。

 

また、2000年にわたる宗教対立の歴史も、日本には無縁です。こうした背景は、イスラム教、キリスト教の対立にも第三者の立場で振る舞うことも可能とさせることでしょう。

 

 その知恵は、いまこそ世界中で活かすべきです。

 

誰が偉いとか、誰が正しいとかでなく、他人との違いを受け入れる寛容さが日本にはあります。そうした日本発の、たおらかな価値観が、世界中に秩序と安定をもたらすのです。 

 

世界は日本を待っている!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の神様は、八百万(やおよろず)といい、多種多様な神様がいらっしゃいます。

アマテラスさまや、スサノオ様といったビックネームだけでなく、火の神様、水の神様、はてはトイレの神様まで多種多様な顔をみせてくれます

 

神道は、教祖や、経典がない唯一の宗教であり、日本民族古来の神観念に基づく宗教的態度をさし、自然崇拝・アニミズムなどを特徴とします。

  

「神道」は、宗教ではなく人間にとっての、「原理原則」であり、アプリオリと評する人もいるほどです。

  

実際、日本人の多くは「私は無宗教」だと言います。それは無意識ですが、魂に刷り込まれている原理原則だからです。だから、神道が宗教である、という感覚がないのもうなづけます。

 

 そんな原理原則をひとことで言い現すと「お天道様はみている」という感覚

そして、「靴をそろえる」といった素朴な習慣に集約されるのです。

 

 

 ■「靴をそろえる」という尊い行為

 

産経ニュースに日本人として嬉しい記事が載っていたので一部ご紹介します

 

 世界最大の原油埋蔵量とイスラム教の聖地メッカを抱えるサウジアラビアで、日本の教育や道徳が「伝統と近代化を両立させている」として熱い注目を浴びている。日本を現地ルポしたテレビ番組が高視聴率を得たほか、日本式の技術教育を導入した職業訓練校や、教育制度を紹介するセミナーも関心を集めている。

 

 「驚きました。財布を警察に持っていきましたよ」

 

 東京の路上に現金7000円を入れた財布を放置、拾った日本人親子を隠し撮りで追跡すると、交番に到着した-。こんな映像を前にサウジ人リポーター、アハメド・シュガイリ氏が目を見張る。サウジ資本の衛星テレビ、MBCが昨年秋のラマダン(断食月)に放映した連続番組「カワーテル(思考)-改善」の1コマだ。

 

 サウジをはじめアラブ世界では、信号無視やタバコのポイ捨て、食事の大量の食べ残し等は珍しくない。公衆マナーの悪さはしばしば指摘されるところだ。

 

 番組では、シュガイリ氏が日本社会に密着し、信号を守る市民や、飼い犬のフンを拾う人々、教室の掃除をする小学生などを紹介し「信じられない」とリポート。1回5分間の番組は、約30回の放送で高視聴率を得た。

 

 若年層の比率が高いサウジでは、爆発的な人口増加と原油枯渇が予想され、失業対策と教育拡充が緊急課題。近代化に成功した欧米の良さは学びたいものの、イスラム教の戒律を厳格に守るサウジにとって、「道徳観」の訴求は緊急の課題と言われています

 

宗教的戒律の厳しいサウジに 比べ、日本の若者は自由を謳歌しています。

それでいて、社会には「道徳」が溢れている。

この差を生み出すものはなんだ?と、サウジの王族は考え、導きだしたものが、「子どもたちによる教室の掃除」という習慣だったそうです

  

あなたは、小学生のとき、学校で掃除をしたことがありますか?

 

実は、そのこと事態、世界的に珍しい習慣なのです。世界の多くの国では清掃は業者さんが実施するのが一般的です。ただそれだけのようですが、学校での掃除があなた自身を育ててきた?っといったら大げさでしょうか?

  

「掃除の効用」

一義的には、掃除とは、部屋をきれいにすること。ですが、日本において掃除とは心を整える、あるいは、美徳の源としてとらえてきた歴史があります。日本の神社仏閣では、掃除を修行の1つと考え大事にしてきた文化があります。

また、「怒られるからする」。あるいは「決められたからする」といった西欧的な価値観のもとでは、ルールに従えば、あとは何をやってもいいっとのもモラルの破たんを招くばかりです。

 

最も尊い行為は、決まりでもなく、自分の習慣として、「靴をそろえる」lこと。あるいは人に迷惑をかけないことなのではないでしょうか?

法律を厳しくすれば、罪人はふえるばかり。一番美しいのは、おのおののささやかな心がけのもと、社会に秩序が生まれること。そんな理想的な姿が日本にはあるのです。

 

サウジアラビアでは、テレビ番組をきっかけに、国内で議論がわきおこり、道徳感の醸成のため、日本にならい小学校での掃除をとりいれた・・・ということでした。

  

道徳っというと難しい話や、眠くなる副読本をイメージしがちですが、

今くらす日本という国そのものが、美徳に溢れ、世界にまれな楽園を築いているのです!

 

『見直したいシンプルな習慣」

家訓づくりプログラムで紹介する家訓は、「靴をそろえる」ことや「朝ご飯を一緒にたべる」など、日本に根付く当たり前の習慣です。

食卓でかわすしょうもない会話こそが、道徳観をつくる最初にして最強の1歩であると確信しています