外国人に大人気!伏見稲荷の怪しい魅力

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■外国人に大人気? 伏見稲荷の魅力と謎

 

日本に3万社あるという稲荷神社。その総本宮が伏見稲荷大社です。

 

江戸時代には、「火事喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞」と称されるほど、そこらじゅうに勧進され、いまでも、正月三が日の参拝者数ランキングでは、堂々の全国TOP5入りしています。明治神宮(東京)、成田山新勝寺(千葉)、川崎大師(神奈川)に次ぐ人気神社で、商売繁盛、現世利益を叶えてくれる神様です

 

近年は外国人観光客からも観光地として人気があり、トリップアドバイザーによる2013年の「外国人に人気の日本の観光スポット」調査では2位を、2014年の調査では広島平和記念資料館を抜いて1位を獲得し、2015年も連続で1位となっています。

 

これは、駅のごく近くに「千本鳥居」と呼ばれる朱色の鳥居が続く風景が好評で、拝観料不要で閉門時間が無いことも理由であり、稲荷山のお山巡りで欧米人が好むウォーキングができることも高評価の理由とされています。

 

いまでは、外国人観光客の方が日本人よりも多くなっており、幡谷が参拝に訪れた日も多くの外国人であふれかえっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■魔界の入り口?妖しい魅力をもつ伏見稲荷の謎

  

伏見稲荷大社の魅力は、魔界へ誘うような不可思議な鳥居の連続だけではない、もっと奥深いものがあると思います。

 

外国人に大人気となっている「千本鳥居」ですが、元々願い事が「通る」或いは「通った」御礼のダジャレから、鳥居を奉納する習慣が江戸時代以降に流行し今に至っています。現在は約1万基の鳥居がお山の参道全体に並んで立っています。

 

一般に西欧の宗教は「信じる」宗教。そして日本は「感じる」宗教と言われています

 

「感じる」ことを大事するする神道では、凛とした空気を大事にします。なかでも、伏見稲荷は、凛としながらも、やりすぎと思えるほどのゴチャゴチャ感に溢れています。

 

千本もの鳥居がならぶ参道は、現世利益をのぞむ庶民のパワーであったり、あるいは、魔界に誘う妖しさに満ち溢れていました

 

日本に古くから存在する「ハレ」と「ケ」の概念。

日常を「ケ」とするとき、非日常を「ハレ」と表現します

 

子どもの時に従兄弟といった秋祭り。露店がならび、見たこともないような喧騒のなかで、迷子にならないよう一生懸命、上のお兄ちゃん達についていった記憶があります。

 

非日常の中でも御祭りの日は特別な「ハレ」の日です。

そして日本の「ハレ」には、ピカピカするばかりでなく、秋祭りのような、妖しくもマガマガしい、一面があるようです。

 

訪日される外国人に人気の伏見稲荷は、「ハレ」の日の魅力と妖しさが満ち溢れた空間です。

 

人間が本来もっていた暗闇への恐怖や、火を使い始めたよろこびといった原始の感覚。伏見稲荷の神域では、そうした「ハレ」と「ケ」の往来を強く感じることができるのが、人気の一因ではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

■伏見稲荷と秦氏の関係

 

 

和銅4年(711年)に、伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命を受けて伊奈利山(稲荷山)の三つの峯にそれぞれの神を祀ったことに始まり、渡来系の氏族「秦」氏にゆかり深い神社です。

 

『山城国風土記』逸文には秦氏が稲荷神を祀ることになった経緯が以下のように記されています。  

   

奈良時代のリッチマン、深草の秦伊呂巨は、傲慢にも餅を的にして矢を射ったところ、その餅が白い鳥に変身して飛び立ち、降り立った山の峰に稲がなりました。

和銅4年、秦伊呂巨は、元明天皇の命令を受けて 3柱の神をこの山の3つの峰に祀ったところ、その年は豊作になりました。

 

・・・で!? 

という逸話だと感じないでしょうか?

 

八百万(やおよろず)と表現されるように、日本には、たくさんの神様がいらっしゃいます。現在、世界の主要国は一神教の国で占められており、日本のように原始の祭祀を遺している国は、珍しい存在です。

 

「古事記」「日本書紀」には、アマテラスやスサノオなど、国造りに活躍された、たくさんの神様が誕生した系譜や活躍が記されています

聖書や、仏典に登場する神様は、その功績と比例した祈りや、寺院が建造される一方、日本の場合、大した?活躍をみせていない神様が、大人気になっているのも特徴です

 

何かよくわかんない出典の神様でありながら人気No.1の存在の代表格。それが伏見稲荷にいらっしゃるお稲荷さんです。 

 

3つの峰に祀られた神というのが、次の3柱と言われています。

 

下社:宇迦之御魂大神(うかのみたま)

中社:佐田彦大神(さたひこ)

上社:大宮能売大神(おおみやのめ)

 

 

ウカノミタマは、日本神話に登場する神でしす。『古事記』では宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)、『日本書紀』では倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)と表記する。名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。両書とも性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきました。

  

やっぱりこの説明ではわかりません(ー_ー)!!

そんな、お稲荷さんの正体を、神様サイドでなく、寄進をした「秦」氏の方から読み解きます 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■稲荷信仰ともう1つの日本史

 

 

稲荷信仰最大の謎は、社数が多いことです。日本各地で祀られ、八幡神と並び、祠の数で他を圧倒しています

 

その一方で、奉られている神様が誰なのか?そして、なぜ狛犬ではなくキツネが結界を守るのかその理由が、はっきりとしていません。

そもそも伏見稲荷を祀りはじめたのは秦氏ですが、その秦氏も謎めく一族です。

 

秦氏は朝鮮半島南部から日本列島にやってきた渡来人です。山背地方(京都府南部)に根を張り、殖産に務め、ヤマト朝廷を豊かにした人々でもありました。有名な子孫では、飛鳥時代に秦河勝が聖徳太子を支え活躍されました。

 

しかしその実績と裏腹に、正史に登場しない点に多くの謎がのこり、、秦氏の存在をミステリアスにさせています。とくに古代イスラエルの「失われた10支族」の1支族ではないか、という説まであり、秦氏が信仰がした太秦の広隆寺と、景教(キリスト教の中国語よみ)の寺院には、風習や宗教儀礼、言葉(ヘブライ語)に、多くの共通点があると指摘しています。

 

秦氏は、土木や医療、はたまた酒づくりまで、大陸の先進的な技術をもちこんだ技能集団でした。幡谷の妄想では、秦の始皇帝の圧政を嫌った一族が日本に移り住んだ・・・と考えています

 

神話にも出てこない。そして先祖だって正史には出てこない、謎の一族、秦氏。

しかし、その足跡は、殖産産業を根付かせ、庶民を豊かにしてきました。その証拠に秦氏が活躍した場所には、その地名に「秦」の地が残っています。代表的な例では、本拠地となった京都には太秦(うずまさ)。また関東地方には、「秦野」という地名が挙げられます。

 

秦氏の活躍場所は、外交や戦といった表の歴史でなく、庶民に寄り添い歩んできた場所だったと幡谷は推測します。だからこそ、今なお熱烈な信仰を集めるお社になっているのではないでしょうか?

 

商売の神様として、信仰をあつめる「お稲荷さん」。その正式な数は神社庁でもカウントできておらず、一説には日本で一番のお社をもつ神様と言われています

 

空海や、弘法大師といった開祖をもつ仏教の宗派では、あざやかな仏像やその云われを教科書で学ぶことができます。

しかし、日本の神道には開祖はなく、また経典や仏像さえないことから、学者さんの扱いが低くその研究も進んでいません。

 

とくに庶民に愛されて拡大してきた「お稲荷」さんは、研究の対象外。

なのに、日本中で一番数の多い謎多き神様です。

 

外国人観光客の間で人気が高まり、再評価されつつある「伏見稲荷」と「稲荷信仰」。そもそも、出発点は、外国からやってきた「秦」一族の素朴な信仰でした。その後この国の支配者が、藤原氏から源氏、平氏、そして徳川家・・・と、かわっていっても、庶民に根付いた信仰は、ただただ今に続いているだけなのかもしれません。

 

渡来人である秦氏が信仰した稲荷神社は、やはりどこか異国の臭いが残っています。

そして我々の住む日本という国は、単一の民族でもなく、こうした異文化、異民族との交流の中で、独特の価値観を形成してきた国でもあります。

 

肌が黒くても、目が青くても、心が清らかで、おもいやり溢れる人は、「日本人」。

しかし、日本で生まれ育ち、日本語を話していたって、自分勝手で、ひとを蹴落とすような輩は、日本人ではありません(ー_ー)!!

 

伏見稲荷では、教科書や正史には書かれない庶民の歴史が眠っているお社です。

そしてその魅力が、世界中の人に伝わり始めたことがちょっと嬉しい幡谷なのでした^^