『皇紀』から考える暦の研究

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

朝日新聞の天声人語で、日本の暦である『皇紀』をつかった国会議員を批判する記事が掲載されました

 

皇紀とは、神武天皇(日本の初代天皇)が即位したといわれる年(紀元前660年)を元年とし、西暦2016年は、神武天皇即位紀元2676年に当たることになります。

 

記事では、戦時中を思い出せる復古調だと、厳しく糾弾しています。

こじつけにも、はなはだしい論法ですが、盗人にも一分の理。批判には、批判ではなく、正しい知識で挑みたいものです。

 

『皇紀』の研究と、日本の暦について考えてみたいと思います。

 

 

■『皇紀』から考える暦の研究

 

そもそも、暦とはなんでしょう?

 

暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたものです

 

古代エジプトにおいて、ナイル川の氾濫の時期に周期性があることに気づいたのが暦の始まりといわれています。人類が農耕を行うようになると、適切な農作業の時期を知るのに暦は重要なものとなっていきました。太陽にあわせて1日をさだめ。月にあわせ、月をもうけ。季節にあわせ1年としました。

 

紀元前に南アメリカに誕生した『マヤ暦』では、ヨーロッパよりも早く「1年が365日である」ということを正確に計算していたということも分かっています。しかも、計算の精度が非常に高く、現代の太陽暦に基づく計測値と比べても、その差はわずか17.28秒に過ぎなかったそうです

 

日本では、西暦の他に、和暦も使用します。

和暦(われき)は、元号とそれに続く年によって年を表現するもので、日本独自の紀年法です。この手法は中国を中心に東アジアで広く行われてきたが、現在も使用している国はわずかであり、飛鳥時代の孝徳天皇によって645年に制定された「大化」が制定され、以来「平成」に至るまで1400年間使われ続けてきています。

 

現在、世界で多く使われているのは、グレゴリオ暦です。1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦法です。平年には1年を365日とし、4年に一回閏年を取り入れたものです。日本では明治5年に採用されています。「皇紀」は、このグレゴリオ暦と和暦を融合させたもので、同じく明治5年に導入されました。

 

『皇紀』が、神武天皇の即位した年を元年としているように、グレゴリオ暦は、キリストの誕生年をゼロ年とカウントしています。ただしキリストの誕生年には議論があり、エチオピアでは、誕生年の解釈の違いから、本年は2016年でなく2009年として生活を送っています。

 

歴史学会では、100年を超える長寿でもあった初代・神武天皇がいなかったとする説が大勢で、そのため『皇紀』についても裏付けがないとされています。神武天皇がいない=皇紀も使わないっというロジックです。

では、グレゴリオ暦の元年、キリストの誕生についてはどうでしょう。

 

キリストの母は、処女であったが神の子を宿しています。また処刑台にかけられ絶命したあと、復活を果たしました。医学的に、一度死んだ人が生き返ることはありません。ただし、その矛盾こそが奇跡であり、神の導きでもあるともいえます。

 

朝日新聞の『皇紀』批判をもとにすれば、キリスト誕生がどうも怪しい=グレゴリオ暦を使わないっ

というロジックが成立してしまうのではないでしょうか?

一見、信ぴょう性のある化学的なアプローチであっても、それが全て正しいとは限りません。

 

真実と事実は、違っていてもいい。キリスト教の暦が制定するまでの過程や背景、そして歴史の重みには「真実」が隠れています。そしてその「真実」は、『皇紀』にも存在するのです。 

 

世界中たくさんの人が使う暦であっても、宗教上、史学上の見解でいえば、完全なものではありませんでした。同じく『皇紀』にも利点もあれば、不確かな部分もあるようです。

 

大切なのは、キリストがいたとか、いないとかの議論とは別に、暦とは、その国々で決めるもの。

歴代の天皇陛下が制定する『和暦』はもちろん、日本建国の年を元年とする『皇紀』をつかい子ども達に、日本という国の歴史と豊かさを伝えていくことではないでしょうか?

 

そして最後に、日本に伝わる幻の『縄文暦』を紹介します。

 

世界各地の遺跡には、冬至や夏至、春分や秋分と言った暦を作る上では無くてはならない重要な日を示す仕組みが残っています。例えばイギリス南西部にある有名なストーンヘンジの石柱の並びには、春分(秋分)、夏至、冬至と言った特別な日の日の出の位置を示す石柱が有り、日の出の位置を見ることで夏至や冬至などの日を知ることが出来るようになっているそうです。

ストーンヘンジは紀元前2500~2000年頃に建造されたといわれますから、すでに4000年前の人々は或る程度実用に耐える暦を作り得るだけの知識を持っていたことがうかがえます。そしてそうした形跡は世界の各地に残っているのです。

 

今回ご紹介する岐阜県の巨石群は、ストーンヘンジに勝るとも劣らない価値があり、また最新の研究の結果。夏至や冬至だけでなく、グレゴリオ暦と同じく「うるう年」を制定していた痕跡も指摘されています。 

 

暦とは、本来、国や民族によって独自に制定してきたものです。

グローバル化が進み、世界中で同じ暦を使うようになり、エジプトの暦も、中国皇帝の暦も、マヤ暦も、みんなどこかに亡くなってしまいました

 

日本は世界で一番古い国であり、また暦も、それだけの古さと背景をもっています

亡くすのは簡単ですが、つくるのは大変なこと。ご先祖さんに感謝して、平成28年、皇紀2676年という年をいい年にしていきましょう^^

 

 

■幻の縄文暦

 

下呂市の金山巨石群 岐阜新聞 2015年12月12日  

http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20151212/201512120929_26303.shtml

 

  岐阜県下呂市金山町岩瀬の県指定史跡で、縄文時代の天文台とみられている「金山巨石群」を調査している金山巨石群調査資料室は11日、現代と同じ太陽暦の「グレゴリオ暦」に基づいた観測ができる可能性が極めて高い、との調査結果を発表した。 金山巨石群は推定4500年以上前に造られたとされる。 高さ9~10メートルの岩が折り重なり、岩と岩の隙間から差し込む太陽光の位置や大きさなどから暦を読み取ったとされる。

 

 

同資料室によると、巨石群にある3カ所の遺跡のうち、岩屋岩蔭遺跡巨石群内部の特定の石の端に、4年周期で10月15日に長さ約10センチの光が当たることを観測。 さらに国立天文台が示す太陽高度のデータと照らし合わせた結果、128年周期で10月15日に観測できるはずの光が差し込まず、平年は光が当たらない2月26日に光が観測されることが分かった。

 

  

そのため縄文人は光の変化によって4年周期の閏(うるう)年、128年周期で訪れる約1日分の暦のずれを知っていたと考えられるという。

資料室代表の小林由来さん(67)=同市金山町金山=は、 「16世紀に欧州で導入された暦が、そのはるか昔の日本で観測・解明されていたとすれば驚くべきこと」と話している。