『運を支配する』の書評

『運を支配する 』 桜井章一 / 著 藤田晋 / 著 (幻冬舎)

 

=書評より=

なぜ運は特定の人に集中するのか? 東証一部上場のベンチャー経営者と、無敗伝説の雀鬼が突き止めた39の“ツキの極意”とは。 勝負でたまにしか勝てない人と、勝ち続ける人ではいったい何が違うのか――。 麻雀でも、ビジネスの世界でも、懸命に努力したからといって必ず勝てるわけではない。

 

勝負に必要なのは、運をものにする思考法や習慣である。 その極意を知っている人と知らない人とでは、人生のあらゆる場面で大きな差がつくのだ。 「『ゾーン』に入る仕掛けをつくる」「パターンができたら自ら壊せ」「ネガティブな連想は意識的に切る」「違和感のあるものは外す」等々、20年間無敗の雀鬼・桜井氏と、「麻雀最強位」タイトルホルダーのサイバーエージェント社長・藤田氏が自らの体験をもとに実践的な運のつかみ方を指南。

 

 

 ■直観の9割は正しい!

 

直観の9割は正しい! その理由は、意識なんて脳の1割もつかっていない陳腐なもの、直観とは眠っている9割がだす答えだからです。

 

我々の祖先が狩猟生活をしていたころ、森の木々や、季節や風を上手によみ、人々は直観をたよりに、生活をしていたと考えられます。

逆に、都市化が進んだ現代の生活では、「勘」を頼りにすることは、悪いこととさえする風潮さえあります。

 

『運を支配する』の著者・桜井章一氏は、伝説の雀士として知られ、時には命を貼るような裏社会の麻雀の世界で、20年無敗っと言われた地位をきづいたハンターです

 

「直観の9割は正しい」とは、その桜井さんの金言です。 

そして、タイトルにもなっている「運を支配する」方法として次のような指摘をされています

 

・運はつかむものでもなく、招くものでもない。運に選ばれるという感覚が正しい

 

・勝負は複雑にすると負ける

 

・「自分のタイミング」で勝負しない

 

・“力み”がすべてを台無しにする

 

・「開き直り」は「逃げ」である

 

・ポジティブ過ぎると失敗する

 

・努力は勝率を上げるが、成功を保証しない

 

 ・運の量といったものは何も定まったものではなく、その人の考え方や行動によって運に恵まれたり、そうでなかったりするだけのことなのだ

 

・「正しい選択」「正しい努力」を続けていれば、運は複利のように積み上がります。結局は、それをどれだけ続けていけるか、それが運の総量を決めているのだと思います。

 

■運も実力?運こそが実力!

 

著作「世界一簡単な幸福を招く家訓の作り方」では、家訓によってつくられる「習慣」が運を招くことを紹介しています。

たとえば、箸のもちかたや、挨拶の仕方、そして靴をそろえるっといった日本に古くから伝わる所作が、対人関係を好転させるとの内容です。

 

桜井章一「運を支配する」においても、勝負は、99%自滅によって負けることを指摘しています。

そして、自滅しないために、リズムを守ること、シンプルに考えること、そして襟をただすことを定義されていました。

 

同じ意味で、所作の大事さを、司馬遼太郎さんは、禅僧の修行の世界を「黒光りする日常」と表現されていました。日常のすべてを修行とする禅の世界において、座禅をくむことだけなく、掃除や料理が大事です。とくに雑巾がけでは、掃除をさせられている間には悟りはなく、雑巾がけが日課となり、ただ無意識に廊下を黒光りするまで磨けるようになった、はじめて、修行が始まるものと述べられていました。これも一種の「所作」であると幡谷は考えます。

 

家訓でいう「躾」と、桜井さんのいう「リズム」、そして司馬さんのいう「黒光りする日常」とは、結局同じことを指摘しています。


お辞儀や掃除など、最初は怒られ怒られ行動していることでも、いつしかそれが習慣化することで、無意識にできるようになっていきます。それを古の人は「所作」と呼びました。


そして「所作」は、勘をさえさせ、はては幸運を招く扉をあけてくれます。

人間の脳の9割は眠っており意識はたった1割の力しかありません。しかし「所作」を身に着けることで無意識の領域をノックすることができるのではないでしょうか?

 

■見直されるべき「所作」の世界

 

身を美しくすると書いて「躾」(しつけ)。そして、躾によって身に着ける所作は、人生に幸運をもたらす素敵な習慣となっていきます。好印象な人は、誰からも好かれる品の良さや優しさがにじみでる、笑顔や仕草を持っていないでしょうか?

 

人から好かれる品のよさは、生まれもったものではなく、気持ちひとつで誰でも身につけることができるものです。話し言葉に気をつけてみたり、きれいな姿勢を心がけたり、日常生活に少しずつ取り入れて内面から美しくなってきます。

 

古くから日本では、こうした立ち振る舞いのことを「所作」と表現し、とくに躾を通じて、子供たちに身につけさせてきた歴史があります。子どものころ、オカンから、ひじをついちゃいけない、クチャクチャたべるな!っと口うるさく怒られた記憶はないでしょうか?でもそうしたマナーは、いつしか無意識に守れるようになり、それが「所作」となってあなた自身を表現していくことなります。

 

ひとは見た目が9割。そして第一印象でひとはその人自身を判断していくと言われています。

綺麗な所作の人は、どこにいても他人の目を惹きます。ビジネス場面においても、美しい所作を身に付けた人は先方に良い印象を与えます。美しくなるマナーや所作を身につけるには、その表面的なカタチだけに囚われず、マナーがもつ本来の意味や日本の文化から理解していくことがとても大切です。

 

昔から,『立ち居振る舞いは目から入る言葉』と称され,気持ちがそのまま態度に出て,相手に言葉で話したのと同じように伝わる」と,『ホスピタリティ精神の深化』(山上徹著,法律文化社)に書かれています。

 

つまり,気持ちが,所作や振る舞いといった形となって表れてしまうということです。

気持ちがザワザワと落ち着かなければ,落ち着きのない所作となってしまいます。また,気持ちが入っていなければ,表面だけで中身がない味気ない所作となるでしょう。

 

小笠原流礼法のお辞儀の仕方は,呼吸と共に行います。呼吸は,動作を司っているものです。呼吸が浅くて速いと,言葉や動作は速くなります。一方で,呼吸が深くてゆったりしているときは,言葉や動作はゆっくりしたものになります。呼吸に合わせてお辞儀をすることで,落ち着きのある,折り目正しい所作になるのです。

 

一見、小笠原流のお稽古とほど遠い麻雀の世界で、桜井さんは、「呼吸」や「リズム」そして落ち着きのある手筋を推奨されています。

 

イライラしている人に、美しい所作の人はいないし、そんな処には運もやってきません。反対に、美しく立ち振るまう人ほど、その所作はさりげないく、自然と運に選ばれる人間になっていくのでしょう 

 

運を招くというのも、おこがましい考えです。

より謙虚に、ちょっぴりしたたかに、運に選ばれる人間になるためには、こうした「所作」が大事だと改めて学びました。

 

運も実力という言葉にはちょっと違和感を感じます

運こそが実力。そのためには運に選ばれるために「正しい選択」と「正しい努力」が必要です

勝負の世界にいきてきた桜井章一さんの金言のなかに、結局、「躾」が大事だという結論にいたりました^^

 

※共同著者のサイバーエージェント社長・藤田氏も本著の中で、ビジネスの世界のなかでの運の活かし方や実践例を紹介されています・・・ が、どれも桜井さんの金言に比べるとどこかチープな内容です(*_*) かたや上場企業の創業者。かたや麻雀の世界のアウトロー。でも、人生の濃密さは桜井さんの半生に勝るものはないのかもしれません

 

「運」を支配する おすすめです!