どこかおかしい日本の危機管理


 

 

 

 

 

 

■平和と空気はタダではない!

 

人生を楽しむためには、禍いを除くのが重要です。

万が一のことであっても、「備え」をもつ必要性はあるのではないでしょうか?

 

家でたとえれば、戸締りと火の用心。

そしてこれを国にたとえると、「国防」という考え方ができます

 

画像は、元寇の様子を描いた絵巻です。

鎌倉時代の武士たちは、当時世界最強といわれたモンゴル帝国の精鋭を、水際で食い止め日本の独立を守り抜きました。

もちろん、「神風」といわれた暴風雨によって、船団が壊滅したことが原因です。しかしその前段には、モンゴル兵を想定し作られた土塁の砦や、陸戦で勝利し、船でしか野営させなかった鎌倉武士の奮闘が隠されています。

 

日本は周囲を海に囲まれた島国です。温厚な国民性や、宗教間の対立もなく、世界一の平和な国と評する人も多いです。

 

しかし、「平和」とは、「備え」があってこそのもの、今、日本が平和であっても、明日、どんな苦難が待ち構えているやもしれません。安心と安全をまもるためには、鎌倉武士のごとく、不休の「備え」をもつ必要があります。

 

アメリカでは、戦争への備えはもちろん、大統領に万が一のことがあった際にそなえ、大統領の権限を委譲する相手として「副大統領」。そして、副大統領の備えも控えており、実に18人もの順番をきめているそうです。

またこの18人は、全員が同じ場所にいてはいけないっとの規定もあり、危機管理が実にきめ細かく想定されていることがわかります。

 

これを日本にあてはめると、小渕総理が、脳卒中で倒れた際、危機管理の規定がなかかったため大混乱した例がありました。結局、意識不明の小渕総理が青木官房長官の訪問の際、臨時総理に任命した(ということにして)、法の空白をうめることになりました

 

その後、アメリカにならい代理総理の序列は5名まで決められています。しかし、東日本大震災の発災時には、その5名が、おなじ委員会室にとどまっていたことが指摘されており、結局、危機管理という点で、日本人の対策は、片手落ちだったことを証明してしまいました。

 

平和と安全はタダではない。

不断の備えと共に、リスクから目をそむけることの怖さを考えていきたいと思います。

 

 

■いま一番こわいこと・・・

 

危機管理は、誰が悪い!という問題でなく、関係者が、危機を想定し必要な対策を練ることが求められます。

 

幡谷の考える最悪のシナリオは、第三国による原子力発電所のジャックです。

東京や大阪が攻められるのも、もちろん怖いですが、原発をのっとられたら、日本全土が、チェックメイトです(ー_ー)!!

核兵器を使わなくても、発電所1つを爆破させれば日本は終了です。そして、その危険性と裏腹に原発の警備は、自衛隊どころか、民間の警備会社に委託されています・・・(*_*)

 

この問題は、先日の安保法制の審議の際、山本太郎議員によって提唱された問題です。

山本議員は、原発の再稼働の前の事故のシミュレーションの際、ミサイル攻撃を食らった際の被害予測を政府側に問いただしました

政府からは、「仮定の案件には答えれない」という判で押したような回答をよせらています。

 

山本議員は、「安保法制自体が、仮定の案件の積み重ねではないのか?」っと返す刀で政府をばっさり切り捨てました

ホルムズ海峡で、日本の船を守ることも国防。

そして、万が一の危機にそなえ、耳が痛いことでも対策をうつことも国防です

 

東日本大震災で被災した福島原発の事故では、「想定外」という言葉が飛び交いました。

しかし「想定」することから逃げてきた?とも言えるのはないでしょうか?

 

東京電力が「想定」できなかった津波の高さでしたが、実は、隣県の茨城にある東海第二原発(日本原電の運営)では、福島より3m高い津波の高さを想定し事前に工事に取り掛かっていました。

 

この3mの違いは、非常用電源の回復の際、3つあるバッテリーが水没した福島と、3つのうち2つが水没。のこる1基で急場をしのいだ茨城を分けた差にもなりました。茨城の原発では、なんと70cm分だけ非常用電源が水没をまのがれています。

 

リスクにむきあった茨城の原電と、どこかで逃げていた東電さんの対応、危機意識の差が、今もとんでもない差を両県にもたらしています

 

 

■いま求められる危機管理

 

日本の危機管理が上手くいかない問題は、日本人のマインドの問題といえます。

たとえば、アメリカでは防災の訓練で、不手際があると喜ぶそうです。理由は、その失敗は、次の教訓になるからです。

しかし、日本人のマインドは、どこか学芸会のような危機管理しかできないのが現状です。


日本人特有の危機管理が出来ない問題を、作家の井沢元彦氏は、「ことだま」のせいだと指摘しています。「言霊」(ことだま)とは、クチにしたことは、現実に影響する・・・と考える風習で、たとえば、友だちが旅行に旅だつとき、「飛行機が落ちるかもしれないから、最後に飲もう」と声掛けしたらどうでしょう? その後、飛行機が事故にあい友達が帰らぬ人となったとしたら、後悔もするし、周囲の人からも責められるはずです。


しかし飛行機がおちるのは、事故なのか、テロなのか?少なくとも声掛けした友人のせいではないはずです。しかし、日本人は、こうした「ネガティブ」な発言をすることが、「ことだま」を招き、現実を暗くするっと考えてしまう民族なのです。


本来であれば、問題点を炙り出すための防災の訓練でさえ、分きざみで決められたシナリオ、集合場所までも移動は車。想定された危機に、マニュアルどうりの対策。。。っと、誰も問題をしてきない予定調和の世界になってしまいがちなのです

 

ころばぬ先の杖は、使わない方がいいが、もっていることにこしたことはない!

日本をいつまでも平和な国であるように、ソフト、ハード、マインド。そのどれもに神速の対策が求められます。

 

平和と空気はタダでない!

アトムもドラえもんも、まだいない以上、国民一人ひとりが、自衛隊さんに感謝し、おかし左翼さんのロジックにだまされず、危機の意識をもっていくべきです。

 

まずは考えることから始めませんか?

日本の平和はそこからはじまります。