会田誠さんの騒動から教養の意味を考える






茂木 健一郎さんの投稿をシェアしました。

全くひどい話である。
ナチの退廃芸術展を思い出す、、ゾッとする。日本はいつからアートの世界でファシズム的な検閲を許すようになったのか?
実に嘆かわしい。
でも、それは会田誠の思う壺だったりして。
会田さんはその先まで考えるアーティストだから。...
今回こそはアートは負けない、と信じている。

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根本的な教養の欠如

2日連続で同じネタを連続ツイートするのは珍しいが、あまりにも驚いたので。今回の東京都美術館での会田誠さんの作品に対する「改変要請」、詳細が伝わってくるにつれて、あまりのずさんさ、ひどさに呆れるというか、逆に面白くなってくる(ほんとうは、面白がっている場合じゃないんだけど)。

まず、クレームを寄越した...のが、「友の会会員」の「一人」だという点。いわゆるN=1というやつです。すごいなあ。サンプリングとしても、たったひとつで、「都民の意見」のようなものがわかる、と都の担当者が思うところが、ものすごい。一体、どんな常識を持っているのか、理解できない。

次に、そのたった一人のサンプリングに基いて、美術作家に作品の「改変」を求めた点。これは、表現というものの根本的な成り立ちを考える時に、野蛮この上ない行為だ。会田誠さんのような表現者は、どこまで行くか、その線をよく考えて表現してきているわけで、その内面に土足で踏み込む無神経。

さらに凄いのは、その都の「担当者」が、N=1のサンプリングを拡大して、作家に「改変要請」をして、作家が当然断る、次に「撤去」を決定する、という一連の過程で、それが表に出たら(会田誠さんだし、三潴さんだから、当然表に出るわけだが)、世間がどのように反応するか、予想していないこと。

東京都現代美術館という、東京都が誇る(その点は、誇りに思っていいと思う。実際、学芸員さんたちも含めて、いつもいい仕事をしているんだから)文化施設の担当の「都」の職員が、以上のような、基本的素養を欠いたまま、決定権を持つようなポジションにいるという事実に、私は深い衝撃を受けた。

日本で今表出しているさまざまな問題の根本原因は、教養の欠如だと思う。だから、遠回りのようだけど、大学のLiberal Arts教育を充実させ、また子どもの頃からさまざまな「ホンモノ」に触れさせた方がいい。遠回りのようだけど、それしかないと思う。

東京都現代美術館に、「副館長」として、都の職員が入っていることを、「天下り」だとかいろいろ批判する向きもあるかもしれない。しかし、まあ、スポンサーなんだし、副館長くらいにはいてもいいかなと思う。問題は、その都の担当者に、根本的に教養が欠けていることだろう。

理想の世界では、東京都現代美術館の副館長に来ている都の職員も、都の担当者も、現代を生きる上での基本的な教養を備えていて、感性豊かに、世界に誇る東京の文化を育成くださるのがいちばんいいはずだ。結局、遠回りでも、良いもの、深いもの、ホンモノに関する教養を深めていくしかない。

ところで、今回の騒動で、ツイッター上で「あんなもの藝術じゃない」とかいう意見が散見されたが、何が藝術で、藝術ではないかを誰かが決めることができる(判定できる)という前提自体が、現代美術についての根本的な教養の欠落を示すということを、そういう発言者はぜひ理解していただきたいと思う。