エリートは何故、故郷を捨てるのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エリートはなぜ故郷に帰らないのか?

 

偏差値の高い学校にいった友達ほど、地元に就職していないってことがないでしょうか?

地域を盛り上げるための教育が、地元を脱出するためのパスポートになっていたら本末転倒です。

 

反対に、ヤンキーさんの地元の定着率は高い^^ そして若くして結婚し子どもを設けている場合もたくさんあります

 

実社会では煙たがられるヤンキーさんが「地域」をささえ、反対にあこがれの的であるエリートさんが地域を痩せさせるパラドックスが起っているのではないでしょうか?

 

 

■その① ヤンキーさんの研究

 

先日の水戸市の成人式では、やんちゃな成人が式典で大暴れした様子が各メディアで報道されました。そして、分からないのがその後の行動、大暴れした後、ゴミ拾いをして帰ったそうです((+_+))

だったら迷惑かけんな!っという意見や、実に茨城らしい「ごじゃっぺ」な風景となりました

 

茨城で飲み会をしていると、「昔は悪かった・・・」自慢がはじまります。

 

よく聞いてみると今でも悪い人ばかりなのですが、他の地域では絶滅したはずの暴走族や、いまいちいけてない不良さんも、茨城では現役でがんばっています。 

 

明治のはじめ、日本狼は、家畜を食い荒らすやっかいものとして駆逐され、気が付くと絶滅をしてしまいました。結果、植物連鎖がくずれ、森は荒れ、家畜にとっても、依然より環境が悪ったと言われています。

  

価値観は、時代の中では正義にも悪にもなるもの。今の時代に必要とされていなくても、その可能性を否定してはいけません。滅び行くヤンキー文化を育成し、継承する国、いばらき。それは、多様性という無限の可能性をひめたチャレンジなのです。 

 

ヤンキーさんの特徴は、見た目は悪いが、総じて義理がたく、仲間を大切にする素敵な人々です。そして第2の特長は、結婚、出産が早い! そして、女、子供を育てるために、手に職をつけ、土方さん、あるいは職人として、腕を磨いていくものと定義します。多くの子供に囲まれ、昔は悪かったな・・・っと仲間と集い大いに騒ぐ。それって、人間として満点の生き方なのではないでしょうか?

  

 

世界をまわすのは、エリートさんでも、サラリーマンでもない。

 

ヤンキー主義は、ちょっと悪さをしたって、汗をかき、社会をつくり、そして人間第一主義を貫ぬく尊い生き様なのです。

 

 

■その② エリートの研究

 

学歴に長けたエリートさんが地元に帰らない理由は、「仕事がない」からだといわれています。

実際に、年収や待遇で比べると東京で就職した方が有利であり、地元に帰るのは家が商売をしていたり、あるいは介護が必要であったり、なんらかしらの「理由」が必要なようです

 

ただし、これは尺度の問題で、「年収」で測るからこういった結果になるだけです

何のために、勉強するのか、何のために生きるのか?をはっきりもっていれば地元に帰る選択肢も増えものと幡谷は考えます

 

童謡の『ふるさと』にはこんな歌詞が登場します。

【志をはたして、いつの日か帰らん】との一節です

 

1 兎(うさぎ)追いし かの山 小鮒(こぶな)釣りし かの川 夢は今も めぐりて、 忘れがたき 故郷(ふるさと)

 

2 如何(いか)にいます 父母  恙(つつが)なしや友がき雨に風に つけても思い出ずる 故郷

 

3 志(こころざし)をはたして  いつの日にか 帰らん 山は青き 故郷 水は清き 故郷

 

 

この童謡からは、故郷を離れて生活することの呵責に加え、立身出世するためのビジョンがはっきり示されていることが分かります。

つまり、「働く=高い給料をもらう」ことでなく「働く=故郷に錦をかざる」ことが最終的な目的に掲げられています

 

童謡は、時代をうつす鏡です。

明治から昭和の時代まで、故郷を離れて生活する人には「いつか故郷に貢献したい」という素朴な気持ちがあったのではないのでしょうか?

 

エリートさんが故郷に帰れないのは、年収だけでなく、人生のビジョン。あるいは、故郷を意識する「体験」がないことだと幡谷は考えます

 

■秀才が国を滅ぼす

 

成人式の騒ぎのように、時にヤンキーさんは、市民の生活を脅かします。

いきすぎた脱法行為には厳罰に処する必要があります。

 

しかし、秀才(エリート)が巻き起こす事件には、法律には触れないけれど、超ド級の悪さがあることを忘れてはいけません

 

厚生省と一部の医学関係者が引き起こした薬害エイズ事件では、血友病患者に対し、非加熱製剤を治療に使用したことにより、全血友病患者の約4割にあたる1800人がHIVに感染し、うち約600人以上がすでに死亡してしまいました。

裁判では、決着がつくこともなく、事件の真相は闇のなかですが、多くの人命が失われたこと、そして関係者の殆どが、今もその地位にとどまっていることだけは事実です。

 

秀才さんには秀才さんの言い分があり、全てが厚生省の責任とも言えないし、あるいは1mmも責任がないか?と問われれば、それも嘘だと思います。同じような問題が、薬害だけでなく、原発の問題も、止まらない公共事業でも、常に起こっているのではないでしょうか?

 

1つ言えるのは、自分をエリートと思っている人にはリスクがとれないこと。

そして、無意識に言い訳を作っている点です。

 

偏差値型の秀才は入学試験やテストには強いが、勝負には弱いと言われています。入学試験やテストには、「答え」があります。しかし社会には「答え」がない問題はたくさんあります。

 

秀才は国を滅ぼす・・・との格言がある通り、エリートの静かな暴走は、時にとんでもない悪を社会に振りまいてしまいます。

暴走族がブンブンいって、国道をつっぱしるのも迷惑ですが、エリートの暴走は国を滅ぼすのです。

 

これは秀才といわれる個人の問題ではなく、秀才を育てるシステムの問題ではないかな?と幡谷は考えます。偏差値だけでなく、広い教養を身に着けた人が本当の「秀才」です。

最終章では、そんな教養を身に着けるための具体例を紹介していきます。 

 

 

■まとめ エリートはなぜ故郷を捨てるのか?

 

ヤンキーさんとして不良の道を究めることも、エリートとして勉学も励むこともいずれも尊いものです。

しかし、その目的の違いがその後の人生をわけていきます。

父のため、母のため、仲間のために生きるのがヤンキーさんとしたら、エリートさんは、とことん自分のために生きている・・・といった印象さえあります

 

逆説的にいえば、教養をみにつけ、地域や仲間のために生きるエリートさんを養成できれば無敵ともいえます。

幡谷は、この成功例を戦前の旧制高校に求めます

 

旧制高校とは、戦前の教育制度で、旧帝大の予科として設けられ、旧制高校に入れば、原則無試験で帝国大学に進学できる特権がありました。原則、寮生活をしており、3年間もの間、授業後は仲間で寮の部屋に集まって、議論したり酒を飲んだりした。先輩や先生との人間同士のぶつかり合いがあったといわれています。その特徴は、入試には関係なくたくさんの授業が用意され、それを仲間同士で競い磨きあったという点です。

 

旧制高校の卒業生は、その後の日本の発展に寄与する人材となっていきました。

その背景には、寮生活を通じ、仲間どうし人間を高めあい、豊かな教養を身に着けたことがわかります

 

現在の教育システムでは、大学入学にむけて最短で勉強していくのが一般的です。幅広い教養を求めた旧制高校時代と違い、バックボーンが足りない印象があります。さらに医学部を狙う生徒が、受験科目の絞りこみのため、生物を履修していないかったなどの問題点も指摘されています。

 

また効率的な受験システムの弊害は、学校のなかに「地域」がないことも挙げられます。四季折々の47都道府県の豊かな個性を無視し、教室に生徒を縛り付け、金太郎飴のように没個性の受験エリートが製造される現状に危機感を感じます

 

地域がエリートに捨てられないために、そしてエリートさん自身の人間形成のためにも、豊かな人間を育む『全人教育』が必要です。

 

一見正反対のヤンキーさんとエリート。エリートが参考書から世の中を学ぶのに比べ、ヤンキーさんは、人間から人生を学んでいきます。

しかし、旧制高校では、人間同士のぶつかり合いと互いの切磋琢磨が、人間を育て、そして地域を盛り立てる人材が育ってきたことがわかります

 

 

現状では、受験戦争を勝ち抜いたものが「正義」であり、そのために勉強する若者を責めるのは酷すぎます。

日本でもAO入試など、受験の枠組みをかえる取組が始まっていますが、まだまだ試行錯誤の段階です。

 

人間を豊かにする教育に異論はないはずなのに、実際の現場では導入されることはないでしょう(―_―)!!

反対に、ちゃらんぽらんでも、ヤンキーさんの方が人生をまっすぐに歩いている・・・とも言えなくもなりません。

 

世の中が変わればシステムが変わる

しかし、システムなんかできる前から、人間は、立派に猿から人に進化しました。

 

飯食ってクソして寝るだけの動物、人間。

しかし人間は野生動物と比べれば圧倒的に弱い生き物です。我々の祖先は、その弱さを補うため集団をつくり知恵を出し合い生活してきました。

仲間や地域を守ることは、人間の本質です。しかし10人や20人の集団から、万や億に人数が増えれば、決まりや、社会資本の「勉強」もまた必要になっていきます

 

ヤンキーだけは世界は回らない

そしてエリートだけでも世界は幸せになれない

 

地域をすてるエリートさんの問題は、なんかの本質をついてます(―_―)!!なんかって、何かはわからないけど(>_<) この問題がクリアーになれば、地域も日本も輝くように感じます。

 

ヤンキーでもエリートでもなかった元ニートの幡谷。

ヤンキーさん、エリートさんのそれぞれの意見を募集中です^^

 

 

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コメント: 2
  • #1

    TK (金曜日, 15 1月 2016 19:24)

    Facebookから誘導されてきました。親が全国転勤族だったもので、北海道から鹿児島まで、ほぼ2年サイクルで動いていたので、故郷意識ってのがありません。

    「地元」を持ってる人からみたら、私のような人間(意外と多いと思います)ってどう見えてるのか、ちょっと興味深いです。

  • #2

    管理人(幡谷) (土曜日, 16 1月 2016 09:02)

    TKさんコメントありがとうございます^^

    故郷の定義はあるようでないっというのも実情です。
    全国あちこちで生活された体験は、ずっと茨城にしかいない私にとっては、羨ましいとも感じます^^;

    TKさんが気に入っている場所があれば故郷ですし、それが何個もあってもいいと思います
    実は地元にいても地元意識が低い人はたくさんいます。
    ブログに書いた通り、エリートさんほど、その傾向が強いな・・・とも言えそうです

    ご質問の「地元をもっていない」人がどう見えるか・・・についてですが、ご自分で意識していないだけで、普段の何気ない会話や、食べ物嗜好などで、「隠れ地元」を持っておられるっと思います。
    問題は地元にいるのに、地元意識がないっとか、あるいは若い時に地元での体験がないっという点に、課題を感じています

    TKさんが何歳か?存じ上げておりませんが、地元(いまいるところ)の夏祭りや草抜きなんかに参加し、故郷をつくっておくことをお勧めします^^

    田舎ものにとって一番うれしいのは、よそから来た方が地元を愛してくれることです
    地域を変えるものは「よそもの、わかもの、ばか者」との格言があります。ぜひよそ者の特権をいかし毎日の生活をエンジョイください!